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金魚湯

ひとは忘れながら生きていく。

記憶のcapacityは表面張力の働かない風呂のよう。引力を無視される。その代わりに湯張り番がいる。番頭さんだ。
 
 
番頭さん、番頭さん、今日の湯かげんはどうだい。
昨日の湯はどこぞへ流れたかね。

湯の行く末は、番頭さんの懐だ。懐が広いね番頭さん。
 
 
うちの番頭さんは、すこしせっかちで今日の湯も流しちまうことがある。そう慌てなさんな。月はまだ高いよ番頭さん。
 
 
 
そんなおかげさまで、わたしというものは往々にして
うっかりと、わたしをどこかへ忘れてきてしまう。

明日帰るやも、永遠やもわからない。ただ、確かにどこかにわたしはいる。探すこともあれば、やはり忘れたままにあることも致し方無く。

 
 
 
金魚か、ひとかをゆうら、ゆうらり、いったり来たり。
お腹の減ったことを思い出す。

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