「また大学で学びたい」は受け身
「また大学で学びたい」。そう思ったことがある。いまの感覚をもったまま大学に戻ったら、きっとこんな勉強をしたにちがいない、と。
会社員として仕事をしていながら「これからどんな仕事をしようか」「何を成し遂げていこうか」と、ある種の “夢” を追い求めながらも、「そのためにはこんな勉強をしたほうがいいな」と、実現する具体的方途よりも “学び” を求めていた。
しかしあるとき、それは「大学」に行けば学びの機会がある、整った環境がある、という一種の言い訳になっていたことに気がついた