【映画批評】#30「シビル・ウォー アメリカ最後の日」気分はもう内戦
「エクス・マキナ」のアレックス・ガーランドが監督・脚本を手がけ、内戦の勃発により戦場と化した近未来のアメリカを舞台に、最前線を取材するジャーナリストたちを主人公に圧倒的没入感で描いたアクションスリラー「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を徹底批評!!
監督、主人公のリーと同じく、ダウナーな気分にやられること必至!
とまどいながらウダウダ言う!!
鑑賞メモ
タイトル
シビル・ウォー アメリカ最後の日(109分)
鑑賞日
10月6日(日)8:40
映画館
なんばパークスシネマ(なんば)
鑑賞料金
1,400円(会員リピート割)
事前準備
予告視聴
体調
すこぶる良し
点数(100点満点)& X短評
80点
※アメリカ横断は間違いです。以下補足にて訂正します。
NY→ワシントンはどちらも東海岸のため、直線距離で400キロ弱
本作内では州間道路封鎖による迂回で1300キロ以上の道のりとなった
あらすじ
ネタバレあり感想&考察
気分はもう内戦
米国分断ディストピアを描く
基本的には面白く観れた。ただ何か塩梅が良すぎるんよな。
バランス感覚に優れるという触れ込みは作品としてガッツリ刺さりにくい場合もある、の典型例になりそう。大満足とはいかなかった。エンタメとしても、社会派としても抜かりなく、隙がない作りなのは間違いない。ほめる人は多そうだ。
※厳密にはツッコミどころは多いが、空想世界だしやめておく
元も子もないことを言ってしまって申し訳ないが、かわいげがないなぁと思ってしまった。良くできている、投げかけられるテーマも大義はあるけど…てな感じかな。筆者はこれ全然リアリティない派である。アメリカ自体が強大すぎて、自分自身を恐れるあまり、ここまで大きな内戦は起こらないであろうと見込んでいるからだ。南北戦争の反省というか恐怖が現代にも通底していると考えている。
加えて、あんな大統領がする独裁政治なんてある一線、しかもそう高くないハードルを超えた時点で何らかのわかりやすい対応がされる国家がアメリカだ。あの大統領はもっと前段階でスピーディーに暗殺される。だからほぼ100%こういった形での内戦にはならない。本作はハッキリと空想世界だという前提で話を進める。
アレックス・ガーランド監督の前作「MEN 同じ顔の男たち」がなかなかの珍作だったので、本作のマジメな作りに落差を感じてしまったのも大きい。正直言うと「MEN」の方が好き。かなり珍しい感覚なのは認める。どう考えても本作の方が観られるべき映画なのは間違いないが、テンションが上がりきらない。それは「MEN」の方が表現が直接的で、怒りに満ちているからかもしれない。あと身近な事象を取り扱っているからかもしれない。本作は心理的に遠く感じる。
単純にネガティブな感情を誘発する映画だからだろうか。傑作と呼ばれても違和感はないけど、自分はそこまでの気持ちがない。ただ理由を言語化するのも難しい。理由はアメリカ人ではないから、としか言いようがない。ある意味、アメリカ人以外は主体的にこの映画から危機感を得られるようにはできていない。
ある程度アメリカ政治を知っていないとなぜこうなったかはわかりにくい。二大政党制と各政党のカラー、大統領の3期目強行、FBI廃止、自由と平等の精神、西部勢力(WF)の2つ星星条旗など、これらが意味するものを表面的に理解と推測をしていないと内戦が起きている何となくの理由すらわからず、間に合わなくなる。よって、本質的にはアメリカ人もしくはアメリカに詳しい人以外に向けて作られていない。そこを理解する必要がある。
特に日本はアメリカと違って抵抗権に対して無頓着だし、日本とアメリカでは分断の質がそもそも違う。武装も日本では容易にできない。だからリアリティを感じにくい。
主人公たちも内戦の近くにはいるものの、外から記録するジャーナリストという立ち位置なので、観客の参加意識を最大限にまで持っていけない構成だ。兵士という戦地のど真ん中からではなく、戦地の中ではあるもののガワからフェアに描写する品の良さは認めるが、没入からもたらされる危機感を欲してしまった。ただ戦地とその激闘っぷりもしっかり描写されてはいるので、単に想定より足らないことによるズレが生じただけで、作品としては良い表現だったと思う。
共和党政権が極右化してというよりは独裁化した影響で、共和党的保守(テキサス州)と民主党的リベラル(カリフォルニア州)が超党派で手を組み、政府を打倒するからこその内戦ぼっ発という設定は単純に面白い。他の州も合衆国から離脱しているので、当初から政府側に求心力がなくなっており、いよいよ末期という空気感とこのタッグ自体がこのままだとヤバい!四の五の言ってられねぇ!といったのっぴきならない感じを端的に表現している。今現在のアメリカ国内の分断に対して危機感を持っているが故のテーマ設定なのだろう。この現在の空気感である【気分はもう内戦】が発想の出発点なのだと思う。このダウナーな気分が作品にそっくりそのまま反映されている。戦場の写真を撮り、戦争の悲惨さを伝え警告していたつもりが内戦が起きてしまっている現在におけるリーのモチベーション低下がこの気分と密接にリンクしている。気持ちが自然とそう誘導される。本当にうまく作られている。
主人公たちを報道記者・カメラマンという、中立的に振る舞い、記録に徹する仕事人たちに設定したのも感情・本音の排除とそれを見失っていくさまを通して、分断をより強調するためだろう。ジェシーという染まりきっていない異分子でも、心を失っていく様子は心苦しかった。怖いものがなくなっていくというのは諸刃の剣だ。むしろ負の側面の方が影響は大きい。最後はリーの遺志を継承したことと屍を超えたことが合わさったことによる清々しさを感じていた気もして、非常に気味悪さを感じた。決して監督がジェシーの変化を是としていないのは理解しているが、この後味の悪さは堪えた。ラストのジェシーの捉え方は監督が観客をふるいにかけていると感じる。
ジェシーの成長物語やプロの仕事論に重点を置いている人は正直おっかないなと思ってしまう。何か大切なものを見失っている気がする。
それが分断を生むんよ、と言いたい。
ここを面白がれず、気分が落ちたのがテンションが上がりきらなかった原因かもしれない。重さは食らってるし良い映画だけど、当事者じゃないから素直に受け止めきれない気持ちもあって、未だに評価に困っているというのが本音。改めて言うが、傑作と呼ばれることには異論はない。
黒沢清「クラウド」との共通性
自分にも他者にも解像度が低い目線
本作のハイライトはジェシー・プレモンスの軍人問答だろう。あんなおっかないシーンはなかなかお目にかかれない。「どの種類のアメリカ人だ?」ってどんな言い草だオラって話なんだけど、状況が状況だからそんなこと言ってられない。
このオレがヤるやつはオレの尺度を持ってオレが決める、といった態度は先日の「Cloud クラウド」の菅田将暉狩りゲームのメンバーたちとかなり似ている。菅田将暉に対して、各人がくだらない逆恨みであっさり凶行へと一直線に進んでいく。この躊躇なさが不気味だった。(さらに躊躇のない佐野くんのスパイスも効いているが)
このジェシー・プレモンスも同様、軍人として反乱分子となるかもしれない存在の侵入を防ぐという大義はあるものの、そんな大義など感じさせない下品な態度で選別し、躊躇なくアジア人記者をブッコんでいる。
「オレ(側)か、オレ以外か」
こんなローランドはイヤだ大喜利である。こんな冗談を飛ばしてごまかしたくなるぐらい、悪夢のようなシーンだった。アジア人記者は「香港」と答えてあっさり殺される。銃を向けられている存在がどういった人間で~といったことは全く考慮に入れない。ビビりすぎてすぐに答えられる状態ではない、どうやったらアメリカ人として認めてもらえるか思考を巡らせている、なども含めてだ。同情してもらう余地を一切与えてくれない。
この恐ろしい行為を躊躇なくできてしまう人間が大なり小なり存在している恐怖、自分にも他者にも解像度が低い目線が引き起こすものは何か、を表しているような気がしてならない。この表現が黒沢清の「Cloud クラウド」と共通性を感じた。ことの重大さと当事者たちのあっさり加減のギャップが大きいほど気味が悪くなる。内戦自体にリアリティは感じていないが、戦地でのこういった事象にはすごくリアリティを感じる。
ここで感じられるリアリティのある恐怖は、解像度の低い自身の目線を疑うことなく、重大な言動についての判断を簡単に下してしまうその【軽さ】に対してである。実はこの【軽さ】が戦場カメラマンとして成長していくジェシーにも乗っけられている。より躊躇なく戦闘の中核へと進んでいく様子は道中で乗り越えてきた危険すぎるぐらい危険だった障壁を忘れてしまったかのようだ。前章でも書いたが、これが自分には辛くて堪えた。ジェシーもまた解像度が低い人間になってしまったことの悲しみを受けすぎたのかもしれない。
解像度の低い人自体は珍しくはないだろうし、昔からいたのだろう。自分にもそういった部分はある。しかし、現代ではそれが可視化されたことと簡単にそれらの存在が結びつきやすくなったことに恐さがある。これ以前の戦闘も相手がどちらの軍かわからないまま銃撃戦に突入していたり、判断より先に銃を向け弾丸を放っている。そこに本来の意図が入り込む余地はない。
人類間の対立に軟着陸が訪れることはない、その前に手を打つ必要に駆られてこの映画を撮ったんだ!と監督は言いたいんじゃないか。
その気持ちには強く賛同する。
まとめ
アメリカでは4月公開で日本は10月になってしまったことに批判的な声があるみたいですが、アメリカ大統領選の直前にぶつけることを日本の配給会社が狙ってのことだと思うんで、かなりのファインプレーだと思います。
いま観るべき映画なのは間違いないです。人によってはヘコみますけど…。
トランプが当選してもしなくても、トランプ支持者の過激派の暴走が考えられるので、やはり当事者たちは危機感があるのかもしれません。
上の記事を書いた後に、高橋ヨシキによるアレックス・ガーランド監督インタビューを読みました。かなり面白いのであわせて読んでみてください。
最後に
かなり迷いながら、戸惑いながら書きました。嵐でも聴きましょう。あとサブタイトルは大友克洋の作品から引用しました。(ちゃっかり)