
【映画批評】#39「雨の中の慾情」 クラクラするほどの性愛映画!
「さがす」「岬の兄妹」の片山慎三が監督・脚本を手がけ、漫画家・つげ義春の同名短編を独創性あふれるラブストーリーとして映画化した「雨の中の慾情」を徹底批評!!
本作で初めてつげ義春を知った程度の日本マンガ界に疎い男でも、確たる死生観と映像美が放つ性愛の激しさにノックアウト!わけも分からずに泣かされた鑑賞者のボンクラ批評をバカにしながら読んでください。
鑑賞メモ
タイトル
雨の中の慾情(132分)
鑑賞日
11月30日(土)8:30
映画館
TOHOシネマズなんば(なんば)
鑑賞料金
実質0円(ムビチケエポスポイント購入)
事前準備
特になし
体調
まあ良し
点数(100点満点)& X短評
91点
【新作映画短評】#雨の中の慾情
— 近鉄太郎 (@egoma_senbei) December 1, 2024
クラクラするほどの素晴らしい映画体験。いきなりド級の性愛描写からスタートし、どんな話か予測させる気も分からせる気もないまま駆け抜ける。
デタラメなつげ義春世界を美しく力強い映画に仕立て上げた片山監督は本当に映画に愛されている。未だ夢の中にいるようだ。 pic.twitter.com/Dlr1kicWn9
あらすじ
貧しい北町に住む売れない漫画家の義男は、アパート経営のほかに怪しい商売をしている大家の尾弥次から、自称小説家の伊守とともに引っ越しの手伝いに駆り出される。そこで離婚したばかりの福子と出会った義男は艶めかしい魅力をたたえた彼女にひかれるが、彼女にはすでに恋人がいる様子。伊守は自作の小説を掲載するため、裕福な南町で流行っているPR誌を真似て北町のPR誌を企画し、義男がその広告営業を手伝うことに。やがて福子と伊守が義男の家に転がり込んできて、3人の奇妙な共同生活が始まる。
ネタバレあり感想&考察
つげ義春を全く知らない状態で鑑賞
「野火」みたいな映画と受け取るアホ
クラクラする映画体験だった。
面白いとか面白くないとかより、なんかよくわからんけど、オレスゴイもん観たよなこれ!?って素直に思える映画だった。あぁ映画ってようわからんものを観て、ようわかんなぁおい!って言いながら、映画館を後にするもんでもあるよなと久しぶりに思った。
あらすじなんてあってないようなもんだから、公式HPもあらすじをそもそも出していない。大体の映画は公式HPに「STORY」というページをしっかり用意して、起承転結の【起】の手前までのあらすじが記載されているものだけど、本作は起承転結もへったくれもない。映画.comの解説文の一部から引用したものの読んでもほとんど意味はない。三角関係を示唆し描写もされるが、それもほとんど意味をなさない。この文章では触れられていないが、いきなりとんでもないハチャメチャな官能描写で映画がスタートする。
そこでダメな人はもう本作はダメだと思う。
好き嫌いがハッキリくっきり分かれる映画であることを理解していただきたい。
本作は全て、夢の話だ。
しかし、本当かもしれない話も含まれており、その部分は身も蓋もない人間のプリミティブ(野性的)な部分がむき出しになっているからこその感動なのだと思う。その本当らしい話ですら夢である可能性もあり、作品内フィクションとも受け取れる。つげ義春の観た夢のイメージを具現化しただけの作品としても受け取ることができ、どのような解釈も可能だ。それを実現した片山監督の手腕はスゴイ領域にあると言っていい。一生どう表現したらいいのかわからないが、とてつもない作品であることは間違いない。
自分自身も年齢を重ねるにつれて、社会の中でそういった野性的な側面を隠しながら生きていると日増しに実感している。しかし、そういった野性的な側面に抗えないことの諦観と決して捨てるべきものではないという直感が確信めいたものになってきている感覚があり、折り合いをつけていくことの不安とジャマくささに苛まれている。本作はその悩みに寄り添ってくれるような優しさを提示されている気がした。
ただ本作を鑑賞中、筆者はとんでもない勘違いをしたせい(=おかげ)で、本作に必要以上の感動を覚えてしまったことを正直に記しておきたい。
成田凌演じる義男は、完全につげ義春の分身だ。
だから前述した本作で起きた本当らしいことがつげ義春自身の身に降りかかったことだと勘違いしてしまった。本作で義男は戦時中に兵士として海外へ出兵し、そこで戦禍に巻き込まれ、左腕と右足、そして男性器を失ったことが明らかになる。

これも今思えば、夢の一部かもしれないのでそれこそ本当かわからないのだが、ここで筆者は鑑賞中、この体の一部が欠損する描写をつげ義春の本当の体験と勘違いして受け取ってしまった。実際、つげ義春は戦時中はまだ小学生ぐらいの子供で出兵はありえない。もちろん、身体の欠損などしていない。本当につげ義春を知らなかったことによる大失態である。
そのおかげで、その後の野戦病院でのルックバック藤野よろしく、漫画を描き続ける描写に必要以上に泣かされた。それこそ「野火」の大岡昇平のようにつげ義春もこんな戦争体験をしたからこそのこの作品なのだろうと思っていた。映画館を出て飲み屋でスマホで調べながら、「へ!?」ってなって、つげに全然そんな体験がなかったことを知る。少し肩透かしを食らったものの水木しげるの弟子時代があったらしく、おそらくその時に水木の戦争体験話を聞いたり、漫画製作の手伝いをしたことで自身の夢に表出していったと考えるとそれはそれでエモすぎる追体験で良かった。つげ義春自体は才能はすごいけど、社会的には結構なダメ人間だったらしい。笑
本作では、悪人の竹中直人が誘拐して集めた子どもたちから覚醒成分のようなものを抽出する描写があるんだけど、それが昨年ヒットした「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」のような描かれ方をしていて、本当に水木しげるの影響をモロに受けてるんだろうなと想像できてここも楽しかった。本作の製作時は「鬼太郎~」の公開より前なのはほぼ確実なので、たまたまそこがシンクロしているのも面白い。

このつげ義春が観たであろう夢のつぎはぎとしか言いようのないこの世界を実在しない、日本らしくもあり、アジアのどこかノスタルジックな郷愁を感じさせる情景を日台ロケで美しい映像に落とし込む難題をさらりとやってのける片山監督には脱帽するしかない。激しく美しくも汚らわしさも持ち合わせた性愛描写をこれでもかと描きながら、この世界の美しさ、のようなものだけを強く感じさせる不思議な映画だった。これはものすごい映画体験であった。アホすぎる勘違いも相まったのもあるが、その事故的な体験もあわせて好意的に受け取りたい。
何てことない一つ一つの情景・景色・物が
その人自身の人生を形作る体験ができる
この映画は前述したとおり、義男が観た夢をランダムに羅列したような映画であるが、過去に義男が観たであろう一つ一つの情景・景色・物で形成されたものであることがラストに明かされる。
出会った女、自身の知り合い、天井のシミ、虹色の反射、コンビーフ缶、万年筆 etc…、この連続する一つ一つの情景の羅列が、それこそ義男の走馬灯のように映るこのシーンは圧巻であった。こんなに美しく感動的な映画体験はなかなかできない。あまりにもわけのわからない、話にもなっていないと言えてしまう映画にここまで心を持っていかれるのは何より、義男の人生そのものを追体験したような気持ちになったからだろう。
そして、性愛をしつこく描いているのは動物としての人間、ヒトにもう一度立ち返ろうという、自身も含めた現代人がフタをしているように映る野性を呼び起こさせるパワーを本作は持っている。義男と福子の出会いそのものは全く美しいものでも、褒められたものでもない。それでも微笑ましさとささやかな美しさと悲しさが、余すところなく存分に表現されている。

特に福子役の中村映里子なくしてはこの映画はないといえるぐらい、素晴らしいヒロインだった。体当たりの演技だけではない大きな存在感で、本作の出力を最大にした立役者だ。森田剛も竹中直人も脇を固めた他の役者陣も本作の不思議な世界観を形作るのに誰一人欠かせなかった。

数多くの人に刺さる映画ではないが、とにかくその数少ない人たちに一人でも多く観て、打ちのめされてほしいと願っています。そんな映画です。
まとめ
とにかくスゴい映画でした。
「岬の兄妹」「さがす」は話がしっかりしているので観やすいですが、本作は根本から性質が違いました。片山監督の人間を観る目が本当に優しい。#3「ミッシング」回の記事で吉田恵輔監督にも同じことを述べましたが、片山監督は人間の卑近さをも愛おしく感じさせる演出の魅力があります。ポン・ジュノの近くで仕事をした経験を通じて、一番大事な要素を自分のものにしたなと思いました。
他人の夢というあいまいな脳内イメージを具体化して成立させてしまう片山監督のスゴさに打ち震えるしかないといった感じでした。泣いてるけどなんで泣いているかわからないといった体験はなかなかできるものではありません。
自分も夢はいろいろ観てるんでしょうけど、覚えているのは悪夢か色恋かでしかないですからね。本作の作りがこうなるのも当然っちゃ当然。つげ義春自身が恋愛体質だったのも本作を観れば一目瞭然。私も今年、強烈な色恋の夢を観ました。もう終わりです、あたし。泣
実は昨日安納サオリと恋愛してる夢見て、もう末期だと悟った。
— 近鉄太郎 (@egoma_senbei) June 7, 2024
おれはもう終わりだ

最後に
ベスト雨ソングは柳ジョージですよね!
今日はこれを聴きながら、「正体」記事の構成を考えたいと思います。