
【映画批評】#58「雪子a.k.a.」 山下リオa.k.a.「雪子a.k.a.」と呼ぶべき代表作の誕生に感動
30歳を前に人生に迷った小学校教師の女性が、ラップを通して自分と向きあっていく姿を描いた人間ドラマ「雪子a.k.a.」を徹底批評!
記念すべき山下リオ主演作にして代表作の誕生!
タイトルのa.k.a.とその先に続く言葉がないことの意味を推察しながら、本作を紐解きます。
鑑賞メモ
タイトル
雪子a.k.a.(98分)
鑑賞日
2月12日(水)19:40
映画館
シアターセブン(十三)
鑑賞料金
1,300円(水曜サービスデー)
事前準備
予告視聴
体調
すこぶる良し
点数(100点満点)& X短評
90点
【新作映画短評】#雪子aka
— 近鉄太郎 (@egoma_senbei) February 15, 2025
素晴らしい!
a.k.a=also known as(〜としても知られる、またの名を〜と言う)の意だが、雪子にはそのa.k.aがない、というよりも本作自体がa.k.aのような一言で言い表せないものを描く。山下リオ主演だけでも嬉しいのに、本作との出会いでさらに特別なものになった。傑作! pic.twitter.com/fKXafLeSwV
あらすじ
私にできること、それは私自身でいること
記号のように過ぎていく29歳の毎日に、漠然とした不安を感じている小学校教師の雪子。
不登校児とのコミュニケーションも、彼氏からのプロポーズにも本音を口にすることを避け、ちゃんと答えが出せずにいる。
ラップをしている時だけは本音が言えていると思っていたが、思いがけず参加したラップバトルでそれを否定され、立ち尽くしてしまった。
いい先生、いいラッパー、いい彼女に...なりたい?と自問自答しながら誕生日を迎えた。でも現実は、30歳になったところで何も変わらない自分でしかない。
それでも自分と向き合うために一歩前へ進んだ彼女が掴んだものとは―――。
ネタバレあり感想&考察
a.k.a.に続く言葉がない
その意味が立体的に浮かび上がる構造
めちゃくちゃ良い映画だった。
全然毛色は違うが、邦画では今年度マイベストほぼ確実の「室町無頼」に次ぐ作品になりそうだ。山下リオ主演だから行っとかないとな、という理由だけだった。大正解。
よくできているのも当然だが、タイトルを最大限かつ多重に表現している映画。わかりやすい解決や正解に至らない、主人公や塁くんの不安、登場人物のイメージや内面とのちょっとしたギャップ…。
a.k.a.=also known as(またの名を~と言う、~として知られる)の意であり、雪子には一言で言い表せられるa.k.a.がないという意味のタイトルである。

まだ何者でもない、一言で言える特徴がない(小学校教師というラベルはある)、何てことない小さな存在、ちょっと言いすぎたか…、雪子はそんな感じの主人公ではある。また、力強く的を射た一言で表現する瞬発力が求められるラップをするのに、その能力が一番欠けている。
言いたいことをとっさに言える力やその自信がない、もしくは思いついてもそれを口に出すことに不安を感じている、嫌われないためにどう思われるかを常に気にしている。
まずラップの技術論以前に、自分の言いたいことを言い表すという根本の部分での欠落を感じさせるキャラクターだ。週に一回程度だろうか、ラップ仲間とフリースタイルバトルをやってみるもののこてんぱんにやられるし、ついでにラップをするための気合の足りなさを突かれて結構かわいそう。

29歳、大学時代から付き合う彼氏あり、小学校教師、いわゆるラベリングでいうところでは、割と順風満帆に思える。しかし、常に不安を抱えている。十分良い教師だと思うのだが、周囲の先生と比べてわかりやすいキャラ付けが薄いという程度のことをものすごく気にしている。彼氏との関係もなんかしっくり来ていない感じがする。結婚に向かいたい彼氏への期待にも応えられない。ところがハッキリ別れる勇気もなく、とりあえず先延ばしにしてしまう。その間、対照的に友達の剛力彩芽はサクッとビビビ婚を決めてしまう。
毎週金曜日のクラスの不登校児の家庭訪問をするが教師としての形式ばった行動のようにも映るし、音読の宿題にケチをつける生徒の母に理不尽に詰められても言い返せない。同じ学年の他クラスの教師である、占部房子、樋口日奈、カミナリたくみくん達は、雪子と違って自分を持っているように映り、何となく彼らに劣等感を感じていそう。それらは雪子という名前と正反対のMCサマーというラッパー名にも表れている。
将来に対しても何かしらの不安を感じており、それも言葉で言い表すのが難しい。あまりにも漠然としたものだから対処というか、身動きが取れずにいる。そういった部分を休み時間の生徒とのサッカーでキーパーをやっても簡単にゴールを許してしまう、という演出で補強していたのだろう。決定的ではないが確実にどこか人生がうまくいってない感じ。
それがラップにも表れてしまう。disなど到底できない優しい性格と自己否定や自身の不安の言葉しかライムとして出てこない。当然初めて出たバトルでも惨敗どころか同情される。ついには帰省から戻った東京でたまたま会った同僚の先生に「なんでこんなに不安なのかわからない」と涙してしまう。

本作は本当に何てことない話で完結してしまうし、本作で唯一わかりやすい諸問題である不登校児の塁くんについても、これが解決のきっかけになればええなぁ、というところで終える。
本作自体に"a.k.a."がない。
ヒューマンドラマとしてもある一件を除いて、ドラマ性の抑制は効かせに効かせているのに感動させられた。これは観て感じ取ってもらうことしかできない。決してラップを通じた成長譚だけではない。"a.k.a."に続く言葉がない、一言で言い表せられないのが人間であるし、言葉で表せないものの集積が人生を形作ることをこの映画は力強く提示している。
そういったテーマでドラマ性を抑えて、ここまで映画的に豊かなものを提示したのはお見事としか言いようがない。生活を豊かにするのは自分自身の行動を変えるか、行動を変えずとも視点を変えることで自分の見え方、見られ方が変わる。そこに力点が置かれていて実はそこが鋭い。
だからこその不意の土井善晴リスペクトだったのだと思う。
生活映画としてこれ以上ないa.k.aの提示に魂が震えた。大あっぱれ!!!
#雪子aka
— 近鉄太郎 (@egoma_senbei) February 12, 2025
生活を豊かにすることについての映画として、土井善晴というこれ以上ないa.k.aを差しだす上品さに頭が上がらない。
塁くん周辺のストーリーは白眉
解決ではない、信頼感に基づく連帯を描く
まずはラップを描いた映画なので、そのセッションも含めたラップシーン全体に触れたい。ダースレイダーがラップの監修をしているのかな?この雪子の初心者も初心者かつ、自身のなさからくるライムのぎこちなさをよく表現できたな、と思う。
トータルで雪子のラップシーンは3回だったと思う。
ラップ仲間との初のフリースタイルバトル挑戦、長崎帰省時の現地大会のフリースタイルバトル参戦、そして不登校児、塁くんとのラップ×ピアノセッションだ。
最初の2回、フリースタイルバトルのラップはその初心者的ぎこちなさと雪子というパーソナリティをうまく表しており、プロがあえてヘタなラップを表現することの難しさがあったと思われるが、ここが全く不自然さがない未熟さがうまく表現されていて、スゴイと思った。歌う山下リオも、対角のラッパーも、撮る草場監督も手探りの中、相当緊張感があっただろうと思われる中ですごく様になっていて、プロの凄みを体感できた。ラップに特段詳しいわけではないが、良さが十分理解できるよう作られている。
そして、本作のメインである塁くんとのエピソード。
本作でドラマ性を感じさせるのがこの不登校児、塁くんとその父親との交流である。前述したが、それまでに不登校になってしまった塁くんを毎週金曜日に訪問し、部屋の扉ごしに雪子が一方的に話しかけ、ピアノ演奏の音だけ聴こえる状態で特に反応なしというのを繰り返しているようだ。池田良演じる塁くんの父親も「先生お気遣いなく、訪問は無理しない範囲でいいですよ」と優しく、反面冷たくも感じる言い方で雪子に伝える。他にも「義務感でやってます?」みたいな一見失礼な言い方もあったような気がする。

この父親がなかなか捉えどころのない人で、イケてるデスク環境からフルリモートのエリサラと考えられるが、一見子どもに興味ないんじゃないの?的な薄情な感じの人のようにも映る。また、塁くんのピアノの腕前的に習い事に相当なお金をかけているのは明らかで、それは勉学も同様と思われる。まあ、公立小学校なんて行かんでもええわいや、ぐらい思って雪子のことをナメてかかってる節もあるのだろうと思っていた。
雪子がラッパーとしてのちょっとした経験や帰省、大迫先生石井先生との交流、彼氏とのいざこざを経て、人生を見つめなおした後、再度塁くんのお宅へ訪問する。
ここで雪子がドア越しにいつも通り塁くんに話しかけるのだが、「先生のせいで学校に来れなくなったと言われたらどうしよう、それが怖くて踏み込んで聞くことができなかった」と正直に吐露する。ここで初めて塁くんのピアノが止まった、はず。続けてラップが好きであることも話したのかな?
ここらへんはもうちょっと涙なしで観れていなかったので、細かい部分はご勘弁。大体こういう流れだったと思う。
その時点では扉は開かず、父親に「正直に話せば反応してくれると思いました?」とやや煽りにも聞こえるセリフとともに、段ボールいっぱいの本を持ってくる。おそらく不登校児の対応をはじめとした子育て本の類であると思われる。このときに塁くんの両親もまた、解決に向けて手を尽くしていたことがわかるのだ。ここのグッと来させ方が沁みる。
しかし、草場監督はここで手を緩めない。
続けて父親が「先生は毎週訪問しても気の利いたことひとつ言えない」とまた天邪鬼発言で、んもぉ!と一瞬させておいての「でも、ウソは言わない」と雪子を評する。確かにそのとおりだ。雪子は言葉を発するのに躊躇するのはウソを言わないことも要因の一つとしてあったのかもしれない。相手を傷つけないための気づかいゆえの雪子の優しさをこの父親は見抜いていたのである。意外な人物からの意外な一刺しに心を鷲掴みにされた。
失礼なことを言いつつも、この父親もまたウソが言えない人であると同時に、的確に芯を食った示唆を与えられる信頼に値する人であることがわかる。だから雪子と共鳴したのだと思う。あまり人を褒めなさそうな人の「雪子先生が担任で良かった」はやはり印象的である。
そのくだりのあと、塁くんがひょっこり姿を現す。
そこから小学校に場所を移し、雪子とのラップ×ピアノセッションが始まるのだが、その手前、車でその会館まで雪子と塁くんを送った父親は一人車内に残って人知れず泣いているショットが挿しこまれる。
ここも不登校の息子が心を開き一歩を踏み出したことの喜びによるうれし泣きと合わせて、自分がそのきっかけになれなかったことの困惑も同時にあったのではないか、と考えている。ここもまた一言で言い表せないというか、単なる感動で済ませてはいけないような気がした。こういうところに映画としての豊かさを感じる。とにかく、この塁くんの父親は示唆に富んでいる。
他者から見たその人というものの見え方、見えてなさを的確に捉えたキャラクター像で面白い。出演時間は短いが、強烈に印象に残った。

本題のセッションシーンであるが、これは観て体感してほしい。
長回しによる雪子の魂のラップもさることながら、塁くんのピアノの実力も凄まじい。カノンを弾いていたと思うが、日本人が一番聴きなじみのあるコードをちゃんと選択しているあたりも作り手の優しさを感じる。基本に忠実かつ的確な選択、ここも抜かりない。その後、雪子と塁くんが対話し、不登校のきっかけ(歯の矯正をイジられたこと)と登校したい気持ちがあることや、友達の動向は気になりつつもどうしても動けない、それがどういったものかを説明できない、と正直に塁くんも話す。
塁くんもまた、少し前の雪子のような状態であることがわかる。
この映画内では塁くんの不登校は解決されず続いてしまうものの、雪子への信頼感に基づく連帯が確実に生まれ、良い兆しが見えたことをハッキリと示す。ラストはクラスの発表会であるが、塁くんは動画でピアノの腕前を披露する。いわゆるテクノロジーの進歩を駆使したイマドキの一歩前進を描くが、そこに嫌味は一切ない。前進そのものの爽やかさだけを残す。
他の生徒たちの発表も愛らしく、本作の魅力をまた一段引き上げる。
良いラストシーンだと思う。
山下リオのa.k.a.=代表作ができた喜び
それに追随するノリノリのキャスト陣
それにしても山下リオのa.k.a.=代表作がやっとできた気がする。
大学時代に観た昼ドラで知って、「この子エグイ!」と仲間うちで騒いでたぐらいの美少女だった。天下のスターダストという大手事務所にいながら、なかなか代表作みたいなのに出会わないというか、主演作がなくなっていく状況になるとは思ってもみなかった。

主演ではないものの、「あの子は貴族」での水原希子とキャッキャしてるだけのシーンにもう泣かされに泣かされた。いまとなっては、これが復活ののろしに感じられる。その後、スターダストも辞めてフリーだったから白羽の矢が立ったのかな?本当に良い作品に出会えて良かったねぇ、としか言いようがない。本当に良かった。それだけでいい。
続いてその他のキャスト陣も最高だった。映画も演じられたキャラクターもとても落ち着いたトーンだけど、演者さんたちがノリノリで演じているのが伝わる。(ノリノリという表現が合っているかはわからないw)
実は今回一番スゴイなと思ったのは樋口日奈である。元乃木坂46、名前だけでも覚えて帰ってあげてください。

一歩間違えれば、若くてかわいいだけの軽薄な存在になっていたかもしれないところを、むしろ好感度の高いお嬢さんに樋口日奈という存在と演技で塗り替えてしまったかのよう。これはもう天性のもので、人から嫌われる要素がかぎりなく削がれた人物なのだろうと思う。この子が映画出るときは教えてください。高田秋を押しのけて「町中華で飲ろうぜ」のレギュラーを奪取するのも納得。(筆者は今の女性芸能人で高田秋がトップクラスに好きです)

続いて、大迫先生を演じた占部房子。
理想の上司像ど真ん中。悠然と構え、他を寄せ付けない堅さと他を受け入れる懐の深さ、視野の広さからくる柔軟性。まさしく女版落合博満。
タバコ一発でその人の奥行きが出てくるのもそれまでのキャラクターの作りこみがうまくいっている証拠だし、ハードボイルド溢れるタバコの吸い方も最崇高。こういう人一人いるだけで映画が締まるよねぇ、と一緒に観た人と酒飲みながら話したくなる素晴らしい演技だった。

山下リオ、占部房子、樋口日奈の女子会の様子は本当にこの世の善性が詰めこまれたかのような空間で見ごたえ抜群。長崎名物の柑橘ゆうこうを食べる樋口日奈が本当にかわいい。長崎は近々行きたいと思っているので、ゆうこうとゆうこうゼリーは必ず食べたいと思う。

雪子の父を演じた石橋凌も素晴らしかった。意外とあんまり観た覚えのない田舎の優しいお父ちゃん役。「お金がない」とか「全裸監督」で演じた腹黒い権力者みたいなのが似合う石橋凌がこんな優しくて不器用で長崎弁まで喋るとか想定外すぎる。
石橋凌って権力者が似合うから、何やっても様になるしカッコよさが前面に出やすいけど、今回はそれがまるでなかった。一線で活躍してきた役者は本当にスゴイというのを示してくれた。石橋凌、やっぱりカッコイイな。
あと前述した土井善晴の著作「一汁一菜でよいという提案」を持って、愛を語るシーンは最高に笑った。筆者もまた、土井善晴ファンである。

そして最後に渡辺大知。
雪子の彼氏役であるが、実質的にプロポーズをしながら破局されるという気の毒な役回り。雪子と同業であるがゆえに正解をくれる存在ではあるのが痛切。結婚相手として安定しており不足がない、外堀りは埋まっていたけど…。
明らかにうまくいっていない様子はないが、うまくいく兆しもなさそう、というゆでガエル状態のカップルが結婚に至らない感じが鋭い。
本作で唯一「それを言っちゃぁ、おしめぇよ」なことを言ってしまうが、他者への期待のかけ方がその一瞬間違えただけとも言え、ちょっとかわいそう。ただこいつ多分モテるから心配しなくていいと思う。笑
ほか、ラップ関係の出演者も実力者を配しているのがわかる。
特に長崎予選の相手のラッパーは単にdisるだけでなく、雪子を鼓舞するラップでカウンターを待つような余裕があり、実力差の描写と場を盛り上げる工夫がなされていた。
雪子が通うレコード店の店主を演じるダースレイダーがセリフ回し含め、若干の不自然さと異物感を放っている。演技的に?となる人も中にはいると思う。ただこれはあえてプロとアマの線引き、プロ側の"聖域"を演出するための、それこそ"イキリ"のように映って個人的には好感を持った。虚勢を張ること、それ自体がラップ・ヒップホップに通底する思想に感じられるからだ。ここが狙ったものかどうかはわからないが、自分はそう受け取っている。
ほか、剛力彩芽、カミナリのたくみくんなど、テレビでも大活躍の人気者も出ており、豪華さもあわせ持っている。
公開館数少ない小規模作品かつ、映画的にドーンとしたわかりやすいシーンは少ないものの、見どころが多分にある傑作だと思います。
見れる環境にある方はできるだけ観てほしい。
今年を代表する邦画のひとつに間違いないでしょう。
まとめ
フリースタイルの大会後に山下リオと石橋凌が話すバックに映る大都会長崎も堪能でき、長崎のご当地映画でもあります。V.ファーレン長崎の新スタジアムも完成、極めて近い将来伺いたいと思います。
草場監督の手腕はたしかなものでした。演出一つ一つがズバズバ決まってました。的確に有効打を打ち込んでくる感じ。それこそがラップ的でもあって面白かった。ホンモノのテッキカッカー(的確な人)です。次作も観ます!
最後に
大阪ダービー完全勝利!!!!!
吹田いらん子、田舎の子!!!!
よっしゃーーーーー!!!