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【映画批評】#31「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」 むしろ一貫性を感じて好感

「バットマン」に悪役として登場するジョーカーの誕生秘話を描き、第76回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞するなど高い評価を得たサスペンスエンターテインメント「ジョーカー」の続編、「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を徹底批評!!
トッド・フィリップス真面目すぎるだろ!とツッコみたくなる誠実さが賛否を分けるのは納得。筆者は本作めっちゃアリ派です!!


鑑賞メモ

タイトル
 ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ(138分)

鑑賞日
 10月11日(金)20:55
映画館
 あべのアポロシネマ(天王寺)
鑑賞料金
 1,300円(平日会員価格)
事前準備
 予告視聴、前作鑑賞済
体調
 すこぶる良し


点数(100点満点)& X短評

85点


あらすじ

「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」公式HPより引用

ネタバレあり感想&考察

徹底したトラジコメディ
アーサー=ババを引かされ続けたただの人

ひどい話だなぁと。
作品のデキではなく、単に悲惨な話だったという意味で。
映画としては良かった。
決して酷評されるような映画ではない。
ただうまく批評できる気もしない。
好きだけど未だに整理が追いつかない。
文章化が難しい。

本来ならここまでひどいともう笑うしかないよね、というよくある感想になる。今回は前作をジョーカー誕生として捉えた人が多かったからこそのガッカリによる酷評の多さだろう。気持ちはわかる。
ただそういう感想は、大人なんだからそういう作りと分かったときに態度を改めなさいよという気持ちにはなった。最初のアニメーションでそれが示唆されているわけだし、あの時点で何となくそういう期待には応えないんだろうなと準備ができた。いろいろ用意周到すぎるのもわかる。
一番大事なのは、そもそもジョーカーは前作時点で矮小化されていたこと。
だからやることは変わっていない。ずっとアーサーの描かれ方は同じだ。

こんなに見事にババを引き続ける人がジョーカーをやっていたという情けない話に着地したのは意外性もあったが、1作目のアーサーの描き方を考えれば強い一貫性を感じた。
前作を観てこのシリーズに本来のジョーカーとしての役割を期待はしていなかったから、この脚本はすんなり受け入れられた。
どこまで行ってもアーサーは小物だろうと思っていたからだ。

筆者としては前作の「ジョーカー」で脱神格化を果たしており、その世界と地続きの話だっただけという捉え方だ。そういうスタンスなので、それだけ自然な作りだったと断言できる。要は2作かけて【行って帰ってくる】話をやっただけで、ごくごく当たり前のストーリーテリングなのだ。酷評する人の多くは必要以上にアーサーを大きな存在にしていただけだった。
これを詳らかにしてしまう構造はズルいと言えばズルいが、これだけ大予算かつ注目度の高い映画の続編でやってのけた痛快さの方を取った。最近あんまりなかった気がするから。

ミュージカル仕立ては絶対的な必要性を感じないが、レディ・ガガが出るんだから納得度は高い。良いもの観れた感はあるし、勝手に期待して勝手に突き放す勝手な女の気持ちの高ぶりを自然に受け入れられた。
独房エッチも結局はジョーカーメイクをしてほしいとか、看守抱きこんでとか、そもそもそこに愛を感じないような言動が序盤から挿しこまれている。
妊娠だってウソかもしれないし、本当だとしてもその看守の子か全然関係ないヤツの可能性だってある。
ここの真相はハッキリ言ってどうでもいい。どのみちひどいからだ。

こんなに情けないエッチシーンはなかなか観れない

看守とも普段は楽しくやれてるけど、ちょっと調子に乗るとすぐ締め付けられるし、全然頭が上がらない関係性だった。
一部の崇拝する受刑者も含め、ひたすらしょうもない存在に翻弄され続ける情けない男の悲喜劇を徹底して描いたことに魅力を感じた。
これぞ人生、都合の良い物語をつけたのは君たちでしょ、と言いたげな意地悪な作り手の態度自体がジョーカー的で面白い。

もともと1作目からこういう路線の続編で考えていたと思うし、ジョーカーを神格化したファンを諫めるような動機は思っているほどないのではないかと推察する。自分にとってはすんなりと受け入れられた続編であった。

ちなみに筆者の大学時代のお友達は本作がかなり好きだったみたいで、「見たいものしか見ないバカが酷評している!」とブチギレてましたw
自分はそこまでではないけど、安易なジョーカーへの期待からの酷評はみっともなく映るので、似た部分はある。

共に笑われ、バカにされることを覚悟した作り
監督の根性と誠実さは買いたい

とはいえ、酷評されることは織り込み済みのテーマ設定。
それこそ監督がアーサー・フレックというキャラクターに強く肩入れしている証拠だ。アーサーとともに笑われ、バカにされることを厭わないその姿勢が気に入った。(←確定ではないけど自分はそう受け取った)

ダークナイトのヒース・レジャーぐらい、監督がジョーカーというよりアーサーに取り込まれていないかと若干心配になる。ゲイリーを再登場させたのも明らかに小さな存在への共感を強調したいからだと思う。前作ほとんど覚えてなかったので、彼が出てきたときはグッと前傾姿勢に変わった。アーサーを再度小さな存在に引き戻すこと、実際に犯した罪とその影響度をガッツリ振り返る起爆剤として大活躍だった。

ゲイリー再登板はアツかった!

アーサーを身近に感じていた人が一番彼を恐れるようになってしまった悲劇。そこからジョーカーとしてではなく、自身を見てほしいというアーサーの気持ちが本来とは逆サイドにスパークしてしまったという流れはお見事。
というよりはこの身も蓋もない現実の突き付け表現としてめちゃくちゃ好きだった。

マジメすぎるし丁寧な答え合わせに終始したともいえるが、この誠実さは買ってあげたい。エラそうな言い方だけど、素直にそう思う。人生に物語性などないという、逆にアッパーなメッセージが垣間見えたのはうれしい。
アーサーのような本来は物語性を持った存在であっても、ポップアイコン化してしまえば誰もそこに興味も視線も向けない。むしろ法廷でそこが明らかになる度に幻想が弱まり、求心力を失っていく。

どうせ誰もそこには目を向けないから、ジョーカーのような存在は誰でもなれるし、誰でもいいのである。
そのくだらなさと危険を描いたことが気に入った。

自分はこのアーサー版ジョーカー話を閉じるとして、これがベストとは思わないが、結構やれることはやれていると思った。この「ジョーカー」シリーズ自体に強い思い入れはなかったが、2作均して観て良かったなという結論になった。

良作と言っていいでしょう!


まとめ

トッド・フィリップス監督って「HATED」という映画でピエロメイクの本物の殺人鬼(ジョンゲイシー)に刑務所で会ったらしく、本作のレディ・ガガと似たようなことをしていたらしいです。この映画は撮るべくして撮られたのかもしれませんね。
詳しくは↓の動画をご確認ください。(23分ごろ)

人が人を見るときの解像度の低さは常に人類の課題なのだと思い知りました。「ナミビアの砂漠」評もそのこと自体に触れています。
なかなか他人のことを理解するのは難しいですし、安易な理解にむず痒さを感じてしまうのもまた、業が深いと。本作の酷評騒動はそういったものを感じます。思ってたのと違うことぐらいはさっさと受け入れましょうよ。


最後に

リンダカラー∞のDenによる勝手にJOKER告知動画サイコーでした!!
JOKER!!!

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ご拝読、ありがとうございました。


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