アマゾン植物療法-ハペ-
紡がれた想いや築かれた感性のこと
目に映らない神様/霊性/祈り/魂 的なこと
KINPLUS目線で捉えたハペのこと
あなたの周りのかたは 人間社会においての 欠点ばかりを見つけるのが 得意なのですね あなたの秘めてる可能性を 留めているのは そのような関係性のなかに いらっしゃるからだろうなと 感じました あなたも この人間社会では 生きにくいでしょうに 周りのことに氣取られすぎて 自分の軸を失っていませんか あなたのご友人様は 他人様にも迷惑かけず さぞかし 立派な人格なのですね その奥底にある痛みや哀しみを 知ろうともせず わたしからすると そちらが大丈夫? そのような方に
いかなる聖書や 膨大な知識を 目が疲れるほど読んでも それで霊性が向上するわけではない 宗教的、とみなされている 行事をすべて行なっても それによって 一層価値のある人生へ 魂を鼓舞しなければ 言い換えれば 内部の神性や霊性を すこしでも体現させなければ (世に現していくという意味) ラベルなぞはどうでもいい 形式はどうでもいい 口先だけの文言はどうでもいい 大切なのは【行い】【行為】 つまりは 各人の毎日の生活そのもの ごまかせない じぶん
時に人との縁は まるで一本の細い糸のように 繋がっているように感じる 喜びや共感で強まることもあれば 誤解やすれ違いで緩むことも そしてその糸が切れてしまう瞬間もあり 多くの場合 その瞬間には悲しみや痛みが伴うが 少し視点を変えてみると 「絡まり合う前にほどけてよかった」 と思えることもある というか 思えることでしか ないのでは? ∴ 糸が絡まるように 互いの思いや期待がぶつかり合ってしまうと 関係は混乱と摩擦を生むこともあり しかしまだほどける余地があるう
周りを豊かな人たちに囲まれていようが 日本の現状や現実は 苦しみと悲しみの惨状の最中 ∴ 見渡せばすぐわかるし ごまかせない 「それもあなたの投影だ」 という論理で 見たくないものを見ない者の戯言は 哀しさや素直さを帯びてないゆえ 薄っぺらい ∴ 説得しようとも思うてない 聴く耳持たぬ者に捧げる時間は 1ミリも ない ∴ 自分の信じてきたことしか 信じようとしない者とは 違う世界に住んでいると感じている ここまではっきり分かれるとは 思
🔴霊的知識が私たちを解放する理由 霊的知識について考えるとき 私たちに忘れがちな大切なことがある それは この知識が 私たち一人ひとりを 束縛から解放するために存在している ということ 今回は 霊的知識の真の価値と それを受け入れるための準備について記す 🔴受け入れるための準備 霊的知識は ただむやみに与えられるものではない 私たちの魂や精神が その知識に相応しい状態でないと 理解することはできない (もちろん私が理解しているわけもない) 心が その知識を受け入
構わず進め 世間の非難、中傷に構わず たとえ 陰謀論者とはやしたてられたとて ひたすらに ご自分の心の中のヒカリに 忠実に従うこと それ以上のことは 要求しないし されない ∴ 真の信仰を身につけるチャンスは すべてのことが順調に いっている時でなく 生きていて 当たり前に写っていた 眼の前の景色のフレームが ぐにゃりと曲がってしまうような そんな場面 ∴ 比喩としての 暗黒のなかにいる時や 出口のない洞窟の中にこもる時や ひとり孤
「知っている」 ということ と 「それを応用させる」 「日常生活に適用させる」 ということ では 天と地の差ほど ある ∴ 実生活に活用しない限り その知識を会得したとは 言えないのである ∴ これは 地上生活 / 3次元生活 と区切るのではなく 霊界と繋がっている ということ ∴ それを 見事に顕してくれる存在と 出逢えることが奇跡であり あなたの引き寄せた証である ∴ 死んでから霊的な存在、ではなく 本質的には いまと同
なにかを自覚してしまうような氣付き 人によっては それを 産まれながらに持ち合わせていたり 人によっては なにかしらの出来事を通じて ほんの数分で訪れたり 何時間であったり 何ヶ月であったり 何年であったり はたまた 何百年であったり 何世紀であったり と 時間の掛け方に違いはあれど いつかは 自覚意識が芽生える ∴ その芽生えの意識こそが 真の軸となる (らしい) ∴ だから 死んだあと(肉体を離れて) 氣付いても遅いことはない
その席空けずに 何もかもが欲しい という 精神性が疫神を呼んでいる 安心欲しくて 挑戦欲しくて 認められたくて 優越感じたくて しかも そんな自分に酔いしれることなく それでも 尊敬されていたい 必要とされていたい 願わくばこのままの生活で ボタンひとつで のぞみ通りになるような そして それは いつの日にか 向こうからやってくると おのれの楽のためならば すべてを犠牲にしてしまうような 生氣抜きとる社会のレールが 霊的な覚醒を
うっとりするような お月さんに出逢えたとき ∴ それは いつも変わらず浮かんでいるのだが そのとき時々の地球からの見えかたと じぶんの状態とが重なりあって 「うっとり」 を 産み出してくれる ∴ うっとりするような お月さんに出逢えたとき ∴ それを「愛でる」氣持ちを じぶん以外のだれかと 同じような感覚で分かち合えたら それは地球人としての最高のよろこび ∴ なにかしら それぞれにいろいろあるだろうが そのすべてを 「身魂磨き」
「自分を想える量」 が 「神様を想える量」 そのようなことを聴けた ∴ それ すなわち 自分たらしめる要素 のことを想うこと ∴ 我々 等しく 神の子 神様とは 自然含むすべてを指したいのだが これは言葉だと 限界あるゆえ 誤解なきよう 善きように お捉え頂き ∴ 神様想えるひとつの術としての 7つのワークがあり これお伝えすることを ひとつのライフワークとしている ∴ このワークが降ろされたのも 神さまからなので (直
"じぶん" で "じぶん" の 領域を壊して 垣根を甘くして それを "やさしさ" と 勘違いしてました ∴ わたしは わたしを 尊重します わたしは この魂の 尊厳を守ります そのことを 祝福に感じます ∴ 底に陥ったときに なにを学んできたらば だれかの喜びに変わるだろうか ∴ そのような姿勢にこそ 人間らしさと神様が 同時に宿るんだなあ、と 弥栄 ∞ 感謝
続き このオンラインサロンが とにもかくにも ハードすぎた ∴ 風変わりのかた 型破りのかた スピリチュアルパッカーンなかた とりあえず入ってみた なかた が 集中して 一点に集まると そのエネルギーたるや その半端なさは いま思い返せば あれは あの爆発力は なんだったのだろうかと ∴ サロン内では 最先端テクノロジーを取り入れ 仮想通貨を自ら発行する側となり そのやり取りで運営する 一種の村のような そんな世界観 ∴ バー
続き わたしがYouTubeに じぶんの想いを吐き出したり ギターを弾いて唄ったり ありのままを 吹っ切れたように いろいろアップしていると すこしずつ認知されるようになってきた (当時YouTuberがまだ少ないため) ∴ 恥ずかしながら これでご飯食べられたら理想的かも なんて すぐに楽しようとする クセも 同時に出てきたりと 今だからこそ 客観的に感じられる ∴ そこでひょんなことから繋がったのが とある職業シャーマンのかた ∴
続き 当時の 淡路島にいたころのわたしは 「やりたいことしかやらない」 の 誓いを一度でも破ると 今世 じぶんという魂の在りかに 戻ってこれないような氣がしていた 我が子やパートナーに たとえつらい想いをさせたとしても ∴ やりたいことなぞ 見つかりやしない 20歳のころ 流行りの「自分探し」に触発され インドへひとり旅にいったとて やりたいことなど 見つかりやしなかった ∴ お金もなければ やりたいこともない 鬱々と過ごす日々 その
続き 放浪生活が続いてたため まいにち楽しいことばかりであったが お金を稼ぐことに関しては とても苦手分野であり まるでニートと呼ばれる生活 必要に迫れば 季節労働などをして やり繰りしていた ∴ 家族を支えるには ギリギリ以下というところ ∴ 当時 スマホも持っておらず 家にWi-Fiも繋いでおらず インターネットの世界とは ほぼ無縁であったわたしが 「ビットコイン」 という単語をどこかで聞いたとき 謎にビビっときてしまい (キャッ