受容と甘えの違い
怒りやすい性格をなんとかしたくて、3年ほど前から心理学を学び始めました。さらに習慣が人生を変えるということにも出会いました。怒りの感情を筆頭とするいろんな感情をコントロールするための習慣にも取り組みました。怒りやすい性格を変えていく中で気づいたこと、学んだことを共有したいと思います。
ただ、今回の記事は怒りの感情そのものについてではありません。怒りについては他の記事で今後たくさん書いていきたいと思っています。今回は、怒りの感情を改善していく中で、壁にぶつかった ″受容と甘えの違い″ について、私の中でしっかりと線引きしたことについて書きたいと思います。
自分の成長について普段からよく意識されている方の中には、この違いについて考えたことがある方もいらっしゃるのではないかと思います。
私は1年もの間、この2つは何が異なるのかについて考え続けてしまいました。
結論から言うと、振り返り+改善行動が存在するかどうかだと私は考えます。PDCAで言うところのCとAがあるかどうかです。つまり、甘えはやりっ放しで終わり。受容はやって失敗したことは受け入れて、失敗した→ではどうする?をきちんと考えて、改善することだと思います。
1年もの間、私を悩ませたものとは?
この記事においては、 ″自分に対する″ 甘えと受容に焦点を当てます。
私は、心理学及びカウンセリングを学んでから初めて受容という概念と向き合いました。こんなに素晴らしい概念があるのかと衝撃を受けました。特にカウンセリングにおいては、他人に対して受容することがメインとなりますが、私はまず自分に対して受容するところから始めてみました。
しかし、実行することはとても難しく、今でも自分に対して完璧に受容できているかといわれると半分もできていないのではないかと思ってしまうくらいです。
もちろん、受容することそのものも簡単ではありませんが、その他に受容することを妨げるものがありました。それが甘えでした。
私が受容を学んだ時に、パッと出てきた疑問がありました。それは、受容すると成長ができないのではないか?という疑問でした。たとえば、一日中家でゴロゴロしていたとして、それに対して自分にOKを出すわけです(ここでは一日中ゴロゴロすることを、自分の中で良しとしない行動であると一旦仮定します)。
そうすると、その行動やそれを実行した自分がそれで良いということになりますので、脱出することができなくなってしまう。そう考えました。
これでは結局甘えになってしまうのではないかと葛藤しました。葛藤するくらいなので、受容=甘えではないということだけは、何となくわかっていました。
そこからしばらくは思うがままに生活してみることにしました。甘えでも受容でもなんでもいいから、自己否定だけはしないようにしようとだけ決めて。
人の脳の機能は本当にすごくて、甘えと受容は何が違うのか?という疑問を頭の片隅に置いておくだけで、無意識に勝手に色々考えてくれました。
まさにカクテルパーティ効果です。どれだけ人がざわついている中でも、自分の名前を呼ばれるとよく聞こえることを喩えた現象のことです。甘えと受容の違いはなんだ?と疑問に思いながら生活するだけで、それに関連する言葉や本に目が行き、自ずと自分なりの答えが見えてきました。
思いっきり甘えることで見えてきたこと
受容なのか甘えなのかわからないけど、とりあえず自分なりの受容をやってみようと思いました。初めはサボってしまった時も、まあこれでいいやと思うことだけに集中したりもしました。甘えが惜しいところは、途中までは受容と同じである点にあります。それが私を混乱させました。
具体例と共に考えたいと思います。何かに新しいことに挑戦して失敗したことを例にします。たとえば、コミュニケーションの講座に行き、感謝の気持ちを家族に伝えることを学んだとします。その後家に帰って、学んだことを実行しようと決心したが、結局家族に感謝の気持ちを伝えることができなかったとします。
まず気をつけることとしては、学んだばかりなのにできない自分を情けないと思うとか、できない自分が嫌いだとかを考えないということです。自己否定が自分に与える影響については、また詳しく書きたいと思います。
それをクリアした後は、いよいよ受容です。出来なかった自分にOKを出します。ここまでは甘えと同じです。厳密に言えば、ここ ″だけ″ が同じなのです。
甘えとはこのままでいいやと現状維持を(無意識に)目指します。しかし本当にやりたいことは何なのでしょうか?そこに焦点をあてることで甘えを受容に変えることができました。
先ほどの例でいくと、家族に感謝の気持ちを伝えたいのはどういった考えからきているのでしょうか?講座で学んだから先生に褒めてもらいたくて感謝したいのでしょうか?感謝すると感謝し返してもらえるという相手をコントロールしたい気持ちからでしょうか?それとも、心の底から家族に感謝しているからその気持ちを伝えたい一心なのでしょうか?
それを自分自身に尋ねてみてください。
感謝を伝えたい理由、あるいは目的がどのようなものであれ、感謝の言葉を伝えることができていない今の状態のままでは本来の目的が達成できないことは明らかです。私は目的を達成したいのでしょうか?したくないのでしょうか?もちろん、達成したいです。
となれば、現状に満足している場合ではないということになってしまいます。この理論により、私は甘えるという選択肢は必然的に消える感覚がありました。
受容の醍醐味
現状に満足している場合ではないことがわかったので、現状から次のステップに進みます。
かと言って、改善しなければならないとか、改善すべきであるといった言葉を自分に投げかけると息苦しくなってしまいます。この考えこそ、出来なかった自分を責めてしまう源であると私は考えます。
さらに、この考えは目的達成を遅らせてしまう効果があります。やはり自分に自信を持って物事を進めるのと、そうでないのとでは効率が全然変わってきます。だから、受容するのです。
出来なかったことは仕方ない。そんな日もある。自分なりに頑張っているのだからいいじゃないか。
こんな言葉を自分に投げかけて、自分の持っている能力にブレーキをかけることなく、アクセルを全開にできるようにします。
もっと受容するならば、出来なかったという事実に対して、自分が何を感じているのかを明確にします。そして、そのことについて受容ができればなお良しと考えます。
出来なくて悔しいんだ。本当は感謝の気持ちを伝えたいんだ。など。どうしても自己否定してしまう場合は、自己否定したい気持ちを受容するところから初めてもいいかもしれません。
あとは、自身に合ったやり方で、自身のペースでやりたいことを実行していくだけです。
このように自分を信じて、自分で自分に制限をかけることなく、本来の目的達成に向かうことができるところに受容の大きな意味があると私は思います。
まとめ
出来なかった行為は、なぜやりたかったのか。ここを明確にすると、出来なかったことをできるようになりたいという心理が働きます。
そして出来なかったこと自体は受容すると、心が折れてしまうことを避ける可能性を上げます。いつか出来るようになる日のことだけに集中することができるため、何度失敗しても何度でも立ち上がれます。
この意識をできるだけ普段から繰り返して、習慣化することが出来れば、人生はもっと楽しいものになるのではないかと思います。私はまだまだ完璧ではありませんが、何度でもチャレンジができる人になりたいです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。私は自分自身を受容することで、以前よりは気楽に生活ができています。この感覚を共有できればと思い、この記事を書きました。少しでも誰かのお役に少しでも立たるのであれば私も嬉しく思います。
(おわり)
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