土佐日記「国司からの送別」
するなりーーーーー!
みなさん、こんにちは。バーチャル紀貫之の紀つらたんだ!
ここは土佐日記の現代語訳・解説をしている記事だ。
前回の記事は長くなっちゃったから今回は短くいくぞ。
ちなみにこの「土佐日記解説」シリーズはどこから読んでもいいようになってるから気になるところから読んでほしい。
古典なんてものはとっつきにくいんだから少しでも読みやすいと思ってくれたら万々歳だ。それじゃあいくぞ。
二十五日、守のたちより呼びに文もて來れり。呼ばれて至りて日ひとひ夜ひとよとかく遊ぶやうにて明けにけり。
二十五日、後任の国司の館に来るようにとの文を使用人が持ってきた。呼ばれていって、一日中一晩中とにかく遊ぶようなことをして明けていった。
後任の国司に「まあお疲れ様でした」って労いの宴を開いてもらったようだけど……ここでも少し皮肉が混じっているんだ。
わざわざ「遊ぶ」ではなく「遊ぶやうにて」って書いているのは「まあ遊びに似たようなことをしてくれたんじゃないですか」といったような感じだな。「やう」に含みが混じっているのがポイントだ。
わざわざ館に呼びつけたりしている点もあってあんまり快く思ってないんじゃないかって解釈もされているぞ。
二十六日、なほ守のたちにてあるじしのゝしりてをのこらまでに物かづけたり。からうた聲あげていひけり。やまとうた、あるじもまらうどもこと人もいひあへりけり。からうたはこれにはえ書かず。
二十六日。まだ後任の国司の館にて大騒ぎして、従者にまで餞別を与えてくれた。漢詩を大声で吟じた。和歌を国司も従者も詠みあった。漢詩はここには書かない。
出たよ。私女の子ですよアピール。
ここで漢詩を書かないのは「私女なので漢詩は書けないので書きません〜」っていう意味合いで書いてないんだ。自分が女であるという設定を守っているんだな。
やまとうたあるじの守のよめりける、
「都いでゝ君に逢はむとこしものをこしかひもなく別れぬるかな」となむありければ、
和歌を前の国司が読むには、「都を出てあなたにお会いしようとここに来たものの、その甲斐もなく別れてしまうことですね」
一種の恋歌みたいな言い方の和歌だな。相手にあまり会えなくて残念です〜って典型的な別れの歌だ。まあこの場合は可もなく不可もなくって感じの発想だな。
かへる前の守のよめりける、
「しろたへの浪路を遠くゆきかひて我に似べきはたれならなくに」。
前の国司が読む和歌は、「白波の波路を遠くはるばる来て行き違いになる、私と同じように国司を勤めるのは他でもないあなたであるのに」
個人的には枕詞が使ってあるとか技巧的な面も鑑みると、前国司……つまり貫之の和歌の方が秀でているように見えるな。まあこれは一部創作だからそういう風に仕向けているのかもしれないけど。
ことひとびとのもありけれどさかしきもなかるべし。とかくいひて前の守も今のも諸共におりて、今のあるじも前のも手取りかはしてゑひごとに心よげなることして出でにけり。
他に人々の詠んだ和歌もあったけれど秀でているものはなかったようだ。前の国司も今の国司も色々語り合って共に庭に降りて、手を取り合って酔っ払いながら心地よいような言葉を交わしてお別れした。
中々この女房は辛口だよな。「心よげなる」っていう表現が「いい感じのこと言って」って意味だから、つまり表面上は良い、的なことを言ってるんだ。お見送りに来てくれた真心のある人たちとは全く逆の評価だな。
よっぽど次の国司が遅れてきたのを恨みに思ってたのか、そもそも何かが気に食わないのか……
さて、次はいよいよ出発だ。
貫之率いる旅はどうなっていくのか……無事に京へ帰れるのか……はてさて。
ここまで読んでくれてありがとな!
また続き楽しみにしておいて!
それじゃあ!