陰陽道閑話~陰陽道は何処から来て、何処へ行くのか 【第2回】
前回は初回とあって、私事が多かったので、いよいよ本格的な話をしていきたいなぁ、と思っております。
陰陽道研究が未だ「特殊研究」の分野である、という事についてはツイッターでお話ししてきているので詳細は省きますが、念の為に概要だけを述べておきますと、陰陽道研究と言うのは一時期ブームのように起きた・・・と思われる方が大多数であると思われますが、実はその内容はまだまだ浅く、例えば仏教史あるいは神道史(専門用語でいえば神祇関係史)などに比べれば遥かに劣っております。
私も大学で卒業論文を書く際にその現実にぶち当たり、苦労した事を思い出します。無論、大学院ではより専門的になるのでさらに苦労をしましたが・・・。
さてさて、では一体どういった所に問題があるのか。実は、そもそも「陰陽道研究」はその根底から見直しが必要なのであります。
まず、歴史上における「陰陽道の基礎」という所から、既に見直しが必要であると私は思っております。
陰陽道研究において、その基礎的部分が我が国で派生した事を証明する際に最も使われるのが『日本書紀』で、継体朝に百済より五経博士が渡来した事、それから推古朝に、同じく百済の僧・観勒(かんろく)が渡来した事が挙げられます。
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