陰陽道閑話~【番外編】 安倍晴明 (7)-1 [最終回]その1
ずいぶんと長らくお待たせいたしました。なんと2023年になってしまいました。予定では2021年中になんとかするハズが、2022年をまたいで年が明けてしまいました・・・。
毎度ながーい文章を書いているので、そろそろ「まとめろや」という所でしょう。特別編である「安倍晴明」はこの第7回で一旦終わらせたいと思いましたが・・・これまた終われる気配もないので第7回を2つに割りたいと思います。今回は「最終回その1」です。これまでの「総まとめ」的な内容になっていますが、お許しください。
安倍晴明がなぜかくも「伝説的な人物」となり、その行いがきわめて「顕著な活動」となって残ったのか・・・。それは平安時代中期段階での陰陽道は、実はそれほど確固たる足場を作り切れていなかった、いわば「発展途上」の段階であったという所に、晴明の活動を顕著かつ特徴付ける淵源があったのではないかと思っています。
言うまでもなく、貴族日記を含めて多くの史料に陰陽師(元陰陽寮官人も含む広義の陰陽師)は登場し、寄せられる様々な相談に応じています。
歴史的に見ても、平安時代に怪異思想が流行にともなって陰陽師の需要は急増しています。ユーザー側の「陰陽道」への期待はどんどん高まっていた事は確かでしょうし、陰陽師が相談相手になり得る存在であると認識していたと言えるでしょう。
つまり、利用する側からすれば「陰陽道」は諸問題解決にあたって有効な一手段にはなっていました(貴族たちにとって陰陽道および陰陽師は助言機関であり、一部の問題においては問題解消を請け負う処理機関として機能していたのではないだろうか)。
しかしながら、陰陽道と陰陽師たちを取り巻く状況は、実に課題山積、難題というか・・・「壁」が大きく立ちはだかっていました。そして、その「壁」というのが、前述した「確固たる足場を作り切れていなかった」原因だったのであり、安倍晴明・・・引いては平安時代中期の陰陽師が、なぜかくも突出して特徴的な存在であったかを知る材料となるのではないでしょうか。
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