「芥川龍之介『おぎん』を読んでの考察と感想」・其の一

(これはあくまで、少なくとも、この文章を発表する段階では、
未だ「少々、文章作家の経験のある者の、ごく個人的な感想と意見」、
極端に言えば「独断と偏見」に留まるものであり、

日本文学研究の成果でも何でもないことをお断りしておきます)


物語を一編読み通すことができた。今日は佳き日であった…。(←北原尚彦氏「風」の詠嘆)

『青空文庫』にて…で恐縮ですが、芥川龍之介の『おぎん』を読みました。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/116_15168.html


多分、普通に文章に対する体力のある方だったら、

例えば、湘南新宿ラインの待ち時間の間で、あっさり通して読めるくらいの文章量なのでは、…と。

文章も、『青空文庫』は現代仮名遣いになってますし。



こちらの『おぎん』は、芥川龍之介の作品の中で、いわゆる「切支丹物」の中のひとつとされています。

初出は1922(大正11)年8月、初出誌は『中央公論』1922年9月号です。


ちなみに、芥川が亡くなったのは、1927(昭和2)年7月24日。

『おぎん』は、芥川の亡くなる約5年前に発表された作品です。


今回、芥川の生涯年表

https://www.youce.co.jp/personal/Japan/literature/ryuunosuke-akutagawa.html

を参照しましたが、
一見して、思わず「短っ…」と口に出してしまいました。
本当に、勿体ない…。
(何処かのヒロインの「生命を粗末にする奴は大嫌いだ…!」という科白が、ふと頭に…)


※ この後、本文内容に細かく触れていきます。
 未読の方は、ネタバレにご注意ください。



大阪から長崎へと流れてきた夫婦の、その幼い娘・おぎん。

両親が亡くなり、孤児となったところを、
長崎・浦上の「山里村居つきの農夫、憐みの深いじょあん孫七」と、
その連れ合いの「じょあんなおすみ」の元へと引き取られます。


孫七の洗礼名「じょあん」とは、ポルトガル語の男性名「Joan」で、
おすみの洗礼名「じょあんな」は、その女性形の「Joanna」から、…と考えられます。


ポルトガル語の男性名「Joan」は、

「主ヤハウェは恵み深い」という意味のヘブライ語「ヨーハーナーン」が語源の、

日本語では「ヨハネ」という表記で一般的な名前に由来します。


ただ、…この「Joan」という男性名は、英語 の男性名「John」に、

また、女性名「Joanna」は、同じく英語の女性名「Jane」に相当します。


いわゆる「名無しの権兵衛」を
英語で、

男性の場合は「John Doe」、

女性ならば「Jane Doe」と表現します。

(「Doe 自体に架空の姓の意味がある」とのことです。
「John」と「Jane」は、現代日本語で言うところの「太郎」と「花子」みたいな感覚でしょうか。

そう言えば、「修道士カドフェル」シリーズの第1巻『聖女の遺骨求む』にも、
シリーズ最初のカドフェルの助手の青年の名前は、確か「John」で、
彼の名前についての形容で、「ごくありふれた名前」という意味の文章があったかと記憶しています。

英語の童謡『Are You Sleeping?』でも、
教会の鐘を鳴らすのは「Brother John」ですし)


そして芥川龍之介は、1916(大正5)年、24歳の時に、

「東京帝国大学文科大学英文学科を20人中2番の成績で卒業」した後、
同年の内に、海軍機関学校の嘱託英語教官に就任しています。

(もっとも、翌年に退任して、大阪毎日新聞社に入社しますが)

言わば、「英語に関する知識を充分に蓄えている人」です。


要するに、孫七とおすみの洗礼名、「じょあん」と「じょあんな」は、

「『憐みの深い』存在である」と同時に、

「誰でもない者」をも意味すると考えられる…ということです。

まるで、お伽噺に出てくる「昔々、あるところ」の「お爺さん」と「お婆さん」のように。


言っては悪いですが、「そんな人は実際にはいないよ」という、作者による隠されたエクスキューズ…とも。

(ここいら辺は、未だ充分に考えがまとまっていません…)


この先、恐らく長丁場になることと思いますので、
一旦ここで筆を擱くことにいたします。

続きは、また。


ここまでお付き合い下さいまして、有り難う存じます。
m(_ _)m

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