選択肢が増えたことで思い込みが変わったこと
わたしは23歳まで“親の言うことが正しい”“親の言うことには従うべきだ”という思い込みの中で生きてきた。
中学から保育士になりたいという夢を持ち、公立の保育園に就職し安定した生活を送っていた。
親も満足しているし、子どもと関わることも楽しい、とても充実した毎日を送っていたと思う。
3年目には初めての年長の担任を任されて、不安とワクワクを胸に子どもたちと関わることをとても楽しみにしていたのを覚えている。けれどもわたしの想像していた子どもたちの姿とは違って主体性のなさ、自信のなさに違和感を持ち始めたのがきっかけだったと振り返ってみて思う。
なんでこんなにも大人の目を気にするだろうか?
なんで大人の指示待ちなのだろうか?
なんで自信がないのだろうか?
常にそんな状態ではなく、ところどころ日常生活に出てくるそんな場面がすごく気になるようになった。
この“なぜ?”を突きとめたくて、子どもの発達を深めたり、海外の保育や教育にも興味をもつようになった。学んだことで子どもへの捉え方の選択肢が増え、根本の考え方が変わり、自分の中の"こうしなければならない""こうあるべきだ"という思い込みがいつの間にか強い鎖に繋がれている状態ではなくなった。
2年試行錯誤しながら現段階でたどり着いた結論は“子どもは大人の言うことを聞くべき”という自分自身の親からの刷り込みによって、無意識のうちに子どもをコントロールしようとしていた自分に気づかされた。
大人や保育者の目を気にする子は、自分がこれをやりたい!と主体的に遊んでいるときにそれを制限される→この遊びはしてはいけないんだ→自分のすることを認めてもらえない→愛されていないと感じるように。
子どもは特に、"わたしは愛されている""ここにいていいんだ"という安心感が土台になければ、新たなことに挑戦することは難しい。
日頃のちょっとした出来事が積み重なって、思い込みは形成されていき、知らず知らずのうちに無意識に入り込んでいってしまっていること、悪循環を生み出しているのは子どもを取り巻く環境にあったことに気づかされた。
それってわたし自身にも言えることかも、、、
気づいてしまったからには、今ある生活や保育園のあり方に違和感を感じ始め、自問自答する日々。
私は一体どんな保育がしたいんだろう?
子どもたちにどんなふうに育っていって欲しいんだろう?
深めていく中で、
子どもが自分のもっている力を信じ、自分で自分の人生を切り拓いていけるように保育者として関わっていきたいと思うように。
自分は愛されている安心感を土台に、自己肯定感や非認知能力を育んでいくことが、たとえ挫けてしまっても立ち直ることのできるしなやかな心を育ていけると思っています。
自己肯定感・・・ありのままの自分を肯定する感覚のこと。
認知能力・・・知能検査などで数値化できる能力のこと。
非認知能力・・・数値化できない能力のこと。自分を信じる力、意欲、好奇心、創造力、探究心など。
そうしていく中で、公務員として働いている自分にも違和感をもつように。
自分の考えとズレがある保育園で働くのと
自分の考えと一致している保育園で働くのと
わたしはどっちが幸せ?
どっちがありのままのわたしでいら
と考えた時に、私は自分の思いを騙してそこにい続けるのは、合わないと感じ、退職を決意。
自分の思い込みを手放したことで、新たな考えが生まれ、前よりも自分らしく生きれている自分を好きになった。
世界はわたしの知らないことで溢れてる!
自分らしく自分が選んだ道を悔いのないように楽しみながら進んでいこう!