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小学生から哲学を学んでほしい
小さな部屋で、わたしがソファーで寛いでいると、小学六年になっても息子は抱っこしてほしいのか、わたしの近くに寄ってくる。そのときを見計らって、図書館で借りた本を隠して用意している。
今回は「こどものための哲学対話」永井均さんの本を音読させた。
息子は登場人物のネコがしゃべっているのがどうもイメージがわかないという。地球は丸くないかもとか、学校は行かなくてもいいとか、息子には正しいと思っていたことを否定するような内容に、少し戸惑いながら読んでくれた。
そもそもなんで学校に行くの?そもそもなんで大人になると仕事するの?そもそも友達はなぜ必要なの?そもそも論がたくさんで息子の脳味噌に刺激を与えるいい本でした。
そして、わたしは
なんで学校では哲学を勉強しないのか?
そんな疑問が生まれました。
國分功一郎さんの本でも説明されていたが、人間はほとんど習慣的に行動し、同時に時が進むので、なんで自分はここにいるのかなぁとか、なんでこれ食べてんのかなぁ、なんでこれ好きなんだろう?とか、一々立ち止まって考えることなく、人は忙しなく毎日をおくっているようで、特に日本人は一々立ち止まって考えていることは、暇な人がやることで、無駄な時間とみなされるようだ。
そこに、コンサルタント界では有名な話で、哲学がビジネスに生かされた車のフォード社のエピソードをのぞいてみた。
当時、車がない時代の交通手段は馬車だったので、フォード社は顧客ニーズに応えるのであれば「速い馬がほしい」が正解でした。しかしフォード社は馬を速くするのではなく、あくまでも人間が速く目的地にたどり着くことを考え、馬車ではなく、エンジンのある乗り物、車を量産化し顧客のニーズを裏切って成功したブランド、フォード社。というお話しでした。
この顧客のニーズを日本の企業に当てはめてみると、もっと高画質で、もっと薄型で、もっと大きな画面にした液晶テレビがほしいと、顧客のニーズをメーカーがこたえる。そして、もっと速く目的地に行けて、もっと静かな乗り物がほしいというのでリニアモーターカーを計画して、顧客のニーズにこたえようとしてみたり、日本の企業は一生懸命、考えてきました。
しかし、顧客は高画質のデカイ液晶テレビが欲しいのではなく、小さくても情報さえ知れれば良いYouTubeやsnsなどが観たい。リニアモーターカーで素早く移動するより、そもそも移動せずZoom、Teams、Lineなどでよいし、電車乗り物好きにはむしろ、もっと遅くのんびりとローカル鉄道の旅がしたい。しかもコロナ禍で電車鉄道離れでリニアモーターカーどころではない。そんな残念な結果に。
一方、欧米では新しい商品を考えるとき、商品を良くするのではなく、あくまでも「人間が良くなるために商品をどうしよう」という考えなので「そもそも何を良くするのか」と考える。哲学になる。
そうすると一人で哲学するのではなく、欧米ではすぐディスカッションする。するとさらにスケールはデカくなり、今度はプラットフォームという巨大な概念で物事を考えていくようになってきてしまった。
それが、あの G A F A M なんじゃないかと思ってしまう。
日本では毎日忙しなく仕事しているので、一々立ち止まって考える暇はありません。きっとそれは、昭和時代からの義務教育である小学校からずーっと、そうやってきた大人たちだから、今更、立ち止まれないのかもしれない。(私も含まれる)
なんでこうなったのか、
もしかして、
日本では哲学を勉強していないから?
そんな単純かな?勝手にわたしはそう思うようになりました。
今からでもいいので、小学生から哲学を授業に入れてほしいと思う。
そして、今の子供たちが大人になっても、
考えることが好きになって、学び続けるようになってほしい。
それがまだ無理そうなので、哲学者でもない、コンサルでもないわたしが、
図書館にある小学生向けの哲学本を借りて、
きょうも、小さな部屋で息子に音読させ、
一緒に 考・え・た・い のである。