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『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー 藤井佯 編』の感想
文学フリマ39同人小説感想一作目になるのが藤井佯さん編の本作です。本書作品を知ったきっかけはX(Twitter)流れてきたポスト。以降、藤井さんのお名前は鯨井久志先生主催第二回カモガワ奇想グランプリにて拝見していました。本作に関して、今日の世界情勢に通じる無視できない重い響きをタイトルに感じると共に、平和な環境で安穏と生きる者が見つめ考えなければいけない景色が作品に投影されているのか。そんな気持ちから今回購入させていただきました。クラウドファディング製作された作品は初めてです。執筆者の方々が各々どんな「故郷喪失」を読ませてくれるか興味深いところでした。改めて考えます。「故郷」を。私にとってそれは太平洋を隔て何千キロも離れた地。この作品を読んで自分は何を思い抱くのだろう。原点回帰なる気持ちが湧くのだろうか……など。
どうもこんばんは。よいコーヒーをのんびり飲めれば人生だいたい満足。同人小説の読書感想記事を書くキノコです。
感想を書く上でネタバレ的な箇所もややありますが、私の言葉で触れる範囲にとどめている部分が多く懸念はさほどないかと思います。くわえてその程度で本書の良さは損なわれることはありません。また、本書各作品の感想は個々に文量の違いがありますが特に意図はありません。
また、感想記事更新に際し感想を不快に思われる作家さんがおられましたらご一報ください。記事・感想部分はすみやかに取り下げさせていただきます)
※以降、作家(サークル)の方々へ敬称略すことを予め御免申し上げます。
※誤字も許してください。もし見つけたそこのあなた、教えてください。
※■の文では作品内容を極力最小限にとどめたつもりです。
書籍案内
『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー 藤井佯 編』
発行年月日:2024/5/1(初版)
サイズ、ページ数:A6(文庫本)、258ページ
作家名「作品名」:
いとー「あらかじめ決められた喪失者たちへ」、
城輪アズサ「ロードサイド・クロスリアリティの消失」、
闇雲ねね「これはあくまで私の話」、
オザワシナコ「採集作業」、
江古田煩人「帰郷の旅路」、
伊島糸雨「塵巛声」、
万庭苔子「回転草(タンブルウィード)」
藤井佯「安全で安心な場所」、
湊乃はと「遺愛」、
灰都とおり「絶対思想破壊ミーム小夜渦ちゃん」、
神木書房「祝杯」、犬山昇「壊れていくバッハ」、
玄川透「富士の雅称」、
藤井佯「あらゆる故郷に根を伸ばす——なぜ故郷喪失を語るのか」
編者:藤井佯
発行:鳥の神話
本体価格:1500円
扉
カフカ『日記』と、種村季弘「文学における『都市』の発見――わが池袋序説 一般にあらゆる成人は彼が生まれた街の只中に流刑された亡命者にほかならない」の引用があります。
カフカと種村季弘について私は殆ど知りません。名前を聞いたことがある程度の認識。これを機にWikipediaで両者を少々調べたのですが、それだけでも学びが多く、すべてを知ろうとすれば本書を読むまでに長くなりそうで掘り下げるのを諦めました。文系畑出身者、或いは文芸界隈に明るい方には一般教養の範疇なのでしょうか。知識及ばず無知な私。ただお恥ずかしいかぎりです。思う言葉が見つかりませんでした。
まえがき
■アンソロジーを編むに至った経緯など。
「故郷喪失」について作家・藤井佯自身が疑問をもち思考して作られていることがうかがえました。今日の社会情勢も見つめ、個人に立ちかえって俯瞰し「故郷喪失」を語る。また、それらが我々読者にも感慨を持たせることで触発され沈んだ言葉を呼び起こせることができれば幸いだと記されています。本作タイトルに恥じない意識の高さを感じさせられるまえがきとなってしました。
『あらかじめ決められた喪失者たちへ』 いとー
■「故郷は始めから喪失されている。」ことへの思考作。
「故郷」という概念をその言葉から著者自身を取り巻く環境に目を向け、成り立ち、様相、物性や事物などに視野を広げる、或いは心の内の解釈に目を向けて黙々と書かれていました。作家なりに自身の心理を分析し哲学的に論考・思考されていた様子がうかがえます。作家自身が心の中に疑問を呈して答えを探すことや迷いを読んでいく。それは言葉や文体から小難しくも思えるのですが、本作に書かれている内容は考えてみれば至極真っ当で説得力があるように感じられます。小さな事柄・事実が「故郷」のきっかけになっているのかと考えると誰にでも有り得て興味深いです。著者がパレスチナへ寄り添う心のあり方を整えていく様子が感じられた箇所では、作家いとーの置かれている環境は「特権的」また、「特権的なプレイの実感がある」というような文言がありました。これについて私は作家が日本でどのような環境で暮らしているか、その多くを推し測りきることができず、作家の特なる権利が何であるのか具体的に想像つきづらいものでした。ですがパレスチナ(ガザ)を外から眺めることができる人間として思いは同じく共有できるでしょう。本書を読んで感じて想うことをこうして書くこともまた故郷喪失を喚起され物語ることとして許してもらえるなら、本作はまさにその定義にはまる随想感ある作品に思えました。
『ロードサイド・クロスリアリティの消失』 城輪アズサ
■ゲーム端末から故郷喪失を語っていく。
故郷を情景を彷彿とさせ、郷愁が心によび起こされる感覚がありました。作中に出てくる「ゲーム店」は私の身に置き換えてみても似た光景(場所)の記憶があるのです。ショッピングモールや繁華街にある煌びやかなゲームセンターではありません。小学校の一学区にあったゲーム台の置かれた小さなゲームのお店です。それは国道から少し入った住宅街横にひっそりと在りました。学校から帰宅後に示し合わせてそこで友達と遊ぶクラスメイトを羨ましく思っていた記憶も……。私の幼いころゲームや漫画は親世代から軽蔑の対象とされていました。漫画を読むのは学校で友だちの漫画をこそこそ読む。書店で何が話題作かも知らないまま見よう見真似で立ち読みする程度。特に母親の目を盗んでいた記憶があります。この苦い感覚はある意味自分の中にある懐かしさの一部なのでしょうね。昔私が見ていた自分の小学校区内にあったゲーム店も、もう見ることはないでしょう。そしてこの思いが喪失につながるのでしょう。本作を読んでいるとそんな気持ちになりました。
また、作中に登場するゲーム端末名やSNSなどは私にとっては未知のもの。時代の変遷ならぬ世代の違いも感じさせてくれました。そういったモチーフから一味違う渋い郷愁を味わった心地に興味深さがあったのも面白かったです。幼さが見え見えだった一時、別離がせまる仲間と共有したわずかな時間、省みるはく情だった光景からは、語りがたい難しい思いもひしひしと伝わってきました。作品として出力されることで人(作家自身)の心の成長を見ているような気持ち(懺悔や納得、消化のような感情でしょうか)にもなりました。幼き精神の仕方なさすぎる歯がゆさを見ているようでもどかしい気持ちにしてくれました。
『これはあくまで私の話』 闇雲ねね
■あのときの私へ。
とても短い「私の語り」。その文体は話しかけてこられる語調で良い呼吸を感じ取れました。すぐそばで久々に会った友だちの近況報告を聞くようでもありほっこり癒される気がします。故郷喪失という聞こえから、寂しさやにがいような苦しい感情を抱いてしまいがちですが、そんな雰囲気をはねのけてくれるような朗らかさにとても気分が良くなりました。
吹っ切れた一人の大人の魅力が本作にはあるのではないでしょうか。それでいて終盤に訪れる日々の暮らしの中でおこったちょっとした事件は微笑ましくて愛着が湧いてしまいます。当事者は大変だったと思うけど、包み隠すことなく自分のドジをネタにしてくれる飾らない一作に愛嬌を感じてしまいました。魅力的でした。
『採集作業』 オザワシナコ
■人間を宿主とする寄生虫の遺骸採集をする私。
暗然たるSFファンタジーな作品で、序盤からの猟奇的な描写に肝を冷やしました。まさか故郷喪失をテーマにされている作品でそんな感情になるのも予想外でした。ホラーや怪談的な映像などが苦手な私です。けれど、サイコパス的表現や猟奇的表現にわりと耐性がついてきたかもしれません。そう自覚できたのが本作になります。ほんと、本作の描写には「狂」をにおわせる技がり怖さがあります。それでも目が離せずするすると作中に引き込まれてしまいます。心象模様が色鮮やかに、とてもリアルに感じとれてしまいました。
この作品を読むまで忘れていたのですが、確かに、故郷には郷愁という懐かしい気持ちだけでなく、決して心地よくない嫌な感情も抱えているのだと。主人公「私」が故郷をふり返って近所の人間を思い出したときの感情、それは私もかつて覚えた感情でした。なんとなく、あれやこれやと、昔日本で暮らしていたころ嫌がっていたことや、困っていたことなどを思い出してしまいました。
『故郷の旅路』 江古田煩人
■星間タクシードライバーのロボットは語る。
こんな言い方はあまり良くないかもしれないのですが、私の知るロボット・AI作品なんてまだまだ少ないです。だけど、少ないなりに雑ながら、ロボット・AI作品の「おもしろ味や良さはこうところにあるではないだろうか?」という漠然とした理想像をもちながら読むようになってきました。そう考えると同人誌や公募でもロボット・AI作品にもそこそこ出会ってきたのだと思い知らされます。私が読んできた少ないこのジャンルのなかでも本作は、ロボットにひときわ生身の人間的「生き様」や「心根」があるようにその話し言葉や思考から感じられました。内蔵されているAIにそこまで教育を施されているのだとしたら、真に権利を主張して社会で存在している価値がロボットにもあるだろうと思えてしまいます。可能性の問題で、現実においても、本作のようにロボットのAIにどこまで「心」を自立した思念として備えさせ(そもそも思念は人が創れるのか?)、生身の人間と思想や意思を共有・疎通できるかは近い未来への課題ではないかと思います。故郷喪失というテーマであるからこそ人間が知ることができたロボットのもう一つの大事な側面。ロボットの自己同一性がとても強く感じられるよい作品でした。
『塵巛声』 伊島糸雨
■无塵がせまる世界のおわりへ
漢字熟語の多い文体でした。造語なのか、既存の熟語なのか私の残念な知性では判別がつきません。一発変換できない文字が多かったです。常用ではない独特の漢字でニッチな作品なのではないかと初見では思いました。正直に言いますと、兎角頻出される日常見ない漢字において、お恥ずかしながら、読み方・意味を調べつつ読みました。いささか意味の把握が難しい表現もあり勉強になりました(これも読書の醍醐味でありがたいですね)。本書収録作品のなかで最も読了に時間を有したのではないでしょうか。世界観はとても良かったです。幻想SFを思わせる滅びゆくカシュガルのような情景。伝わってくる物の質感の表現においてこの文体あればこそでしょうか。個性的な美しさを感じました。当初、メインの登場人物二人名から性別が想像つかなかったのでジェンダーレスにもみえ、今の世に見合う作品だとも思っていました。男女、男男、女女、他など。あるいは人間ではないのかもしれないなど。終盤にやっと把握しましたが百合作品?であったのか……へーという感じです。忍びやかな寝所の描画も夢見心地な表現で確信を朧げにし、ふしぎと二人の人間味ある関係性を美的に物語っていたような気がします。私は本作のような文体の作品を同人誌で触れるのは初めてなのですが、商業書籍ではしばしばみられるのでしょうか。豊富な中華・漢文のようにも思える熟語をふんだんに盛り込まれた独特な文体で物語られる本作、これが普遍ではないスタイルなのだとすると、本書は一読の価値があるのではないでしょうか。そこから伝わって来る特異な世界観と美をぜひ堪能してみてほしいと思います。
『回転草』 万庭苔子
■イラク戦争前、語学学校時代に知り合った青年の記憶で……。
日本から離れたと外の国に住む者として、作品の世界や心境に把握しやすさがありました。異国に身を置く状態がそう感じさせてくれます。ドイツ語でこそありませんが、私の住む環境は英語圏で多人種多言語。作中で語られているドイツ語授業での友人との思い出話は印象にのこりました。日本に住んでいなくても構わないと思う気持ち、外国人の友人との交流で知る異国の人がもつ独特の美意識など、そこに触れるとおもしろ味にも発見があることなどに共感を覚えます。
本作を読んでいると今も昔もアメリカという国の歪さや浅ましさ、この国の矛盾をどうやって止めることができるのだろうって辟易とすることは日常多いです。SNSがなかった時代、イラク戦争の闇を我々はどう知れたでしょう。代償をこの国(アメリカ)はまだ遺族や仲間たちに支払ってはいない。労いも、当時の兵士たちへ届けることはもうできません。当時を知るアメリカ兵が仲間は騙されて殺されたと叫ぶ映像には胸が痛みますね。戦争を産業にするアメリカを止めることはおそらく大統領が何代変わろうとできる気がしない絶望感があります。
幸いなことに私の住む地域は、中東界隈の移民の方々も穏やかに暮らしておられるので、民族間軋轢を見ることは日常ほぼありません。ですが、住む場所、州、都市によれば私なんぞが所有する小さなパレスチナグッズにも強く深い意味や思想を示す証になったのだろうと思わずにはいられません。またその証は時に日常生活から自分が切り離される拘束へのリスクに身を晒すことにもなったかもしれません。それを思うと、日本の都会の安全さや言論の自由さ、声の上げやすさは他国に類を見ない寛容さがあります。黙して賛同しない人々でさえ危害を加えてくることはない日本人の気質には我関せずの無関心さと、特殊な恩寵すらあるのではないかとさえ思えてしまいます。日本人という国民性は独特な崇高さを孕んでいるのかもしれませんね。そんなことを考えながら読了した作品です。
『安全で安心な場所』 藤井佯
■藤井さんの親は毒親(母)だった。
これも一つの必要反抗期でしょうか。こんな言い方はないですよね。また、大変不謹慎だろうと思いながら、本作にある種のおもしろ味や懐かしさを見出せました。赤裸々とも感じられる本作、どこまで真実であるか確かめる術を私は持ちません。その上で感じたままの印象では、他人様の鬱の苦しみにこの言い様、自分を少々許しがたく思います。だけど……、あの手この手で実家に帰らない理由をつくる姿勢なんて、駄々っ子を連想してむしろ微笑ましくさえなりました。かくいう私も同じでしたので共感もまたひとしおです。実家が嫌いでした。だから本作への気持ちはどこか懐かしい。大学生にまで成長した身でありながら、実家暮らしに一事が万事いや気が先んじ、自宅に帰らず外を渡り歩く日々でした。親と別に暮らしたい。そのために勉学に励んできた高校生までの熱意にも共感できました。本作を読むと、当時の自分を省みます。けれど、結局はた目から見れば親子は似てしまう。親が親なら子も子だと。似た者同士であると。共依存とは他でもなく上手く言ったものだ、と。
でも、これだけはいえる。子は親と別の未来をこれからも選択していける。だって別の個人だから。私はそう確信して親と同じ生き方はしないと決めています。親と自分が出会ってきた、これから出会っていく人間も同じではない。だからそう信じることができます。
日本を離れて外から日本の親ごさんたちの子育てが見えるようになった身からしますと、日本の子育ては息苦しく、難しそうだと感じることは多いです。取り巻く社会、価値観、他人への配慮やマナー、常識、ルール、タブーなど。独特な学歴競争の有り方は子育てでの不測の事態に優しくはないことが多いです。全ての親がそうではないけど、だからこそ日本の親は子ども管理せざるを得なくなるのだろうな、ゆとりを持つことは難しいのかな、と。外国の親子関係をまんま日本に布く必要はないでしょう。しかしもう少し寛容な国、国民性であれば藤井母子は救われていたのではないだろうかと思わずにはいられない作品でした。逃げに逃げまくり心を病んでしまう極端な思考にはならなかったのではなかろうか。そんなふうに。
『遺愛』 湊乃はと
■寅次に届いていた妹からの手紙から。
作中の時代背景から想像するに、一家において尊ばれていたであろう第一人者は一般的に父親であったろうと思います。ですが色濃い人物像故に母親の存在が突出して見えてくる物語になんとも唖然とさせられました。極まっている度合いに笑いさえ起こりました。当時の現実において、実際このような母親はいたのでしょうか。私は文系畑の人間ではないこともあって、古い文学の世界に参考になった人物があったのだろうかと想像しながら読んでいました。或いは実在した人物からヒントを得たのだろうかなど興味深く寅次の母親をみていました。
同時に「母親」と「故郷」は、切っても切れない密接な関係であるのだろうなあとも思いました。ただし、母子の関係、親子であっても所詮は他人です。そこから生じる人間関係における距離感を本作からも考えることになりました。わが身に立ちかえりもの思わされたことも幾ばくか……。
本作と藤井佯の作品「安全で安心な場所」とは、ある種どこか共通する思念を感じるところがあったように思います。違うところは終盤の心持でしょうか。本作ではなんとも言い難い気持ちの込められた最後。故郷に感じる苦しさや、まずさ、にがい感情を自らにも覚える読了となりました。この感情は私にもあるな、と。
『絶対思想破壊ミーム小夜渦ちゃん』 灰都とおり
■ライターSとの出会いと過去のTの記憶。
毛色の違う作品が登場して興味深かったです。だけど「故郷喪失」という感覚は間違いなく存在していた。小夜渦ちゃんというのはイマジナリーフレンドのような存在として「私」や登場人物SやTの近くに存在していたと捉えるとよいのでしょうか。現実を見つめることがつらい。或いは現実に価値を見出せないとき、どうすれば前向きでいられるだろう。前向きでなくても精神を安らかに保てるか、そのヒントのようになるのが作中終盤あたり、Sのブログの文言、小夜渦ちゃんの言葉をかりた下りでした。小夜渦ちゃんの考え方はポジティブだと思えます。己の満足度によってその場所が故郷(ホーム)たれば良いだろう。誰もがそう思えたら喪失から救われる気の持ちようなのでしょうね。
作中でSは消息を絶ってしまうのですが、このSの感覚・思考が初回読了後すぐには理解できませんでした。それは日頃自分の周りにそういう人間がいなからかもしれません。
本作を読んだことでライターという文人について考えたのですが、ライターは物書き、文人であるのだから、自分の内なる世界観、思想などに没していくのは当然でおかしいことではないのだろうと思い至りました。となれば、他者との対面での関係性より、自分の内面との対話が深くなっていくのは必至なのでしょう。答えを見つけようとすればするほど、自分の外(他者や環境)に答えを見いだすのは難しくなっていく。だから消えてしまうのだろうと納得いくものがありました。「私」を遠ざけ彼女(S)がどこかへ行ってしまったことへ、良い言葉が浮かびませんが、それも自然なことと受け止められます。心境を察し追わないべきなんだろうなと。
『祝杯』 神木書房
■男二人暮らし、嘉崎はパートナーのことへ思い巡らす。
同人小説で男性二人が同棲している作品を読むのは私にとって珍しい体験になります。同人誌の作品感想に商業誌の銘柄を引き合いに出す。これを個人的に好ましく思わない……、なるべく私はそれを避けようと思っています。しかしながら本作に限りどうしても思い出さずにはいられなかった商業漫画がありました。ちょうど私が中学、高校生くらいだった頃。漫画家・尾崎南による作品『絶愛』というBL作品が一大ブームを巻き起こし学校で流行っていました。好きか嫌いか何かよくわからず嗜みにと友人から布教目的で当時渡された記憶があります。『絶愛』はとても熱に浮されるような激しい作品だったのを記憶しています。本作はそれとは真逆。人物が抱く心の持ち様、成熟加減や落ち着き、穏やかさから感じられるのは静かな温もりでした。相手を日々の習性から推し量り、現状から思いやる嘉崎の目線は慈愛が伝わるようで素晴らしいです。年齢的なものもあるのでしょう、人物像が当たり前に理性的(これ重要)で、作品自体がもつ雰囲気も感情的に読み手をふり回すことがなく、本能をあからさまにぶつけてこない配慮(煩くないさま)を感じました。壮年の熟男作品とでも言うのでしょうか。こういう関係性をはたから見ていると若さばかりが持てはやされる世間の風潮へ疑問を持ってしまいますね。
本作、船藤のように一定年齢に達し経験を経た人間だからこそ複雑な思いを持ちながらも家族や故郷へ足を向ける念や、嘉崎の気疲れしたパートナーを思いやれる配慮など。人間同士の心の通い合いを通じて見えてくる故郷の描写が情に沁み、二人の心の揺れを丁寧に感じさせてくれる作品でした。
『壊れていくバッハ』 犬山昇
■ぼくが花束さんといた頃……。
作中バッハの曲がしばしば登場していました。過去へ遡り記憶を読み解く私小説だったのですが、湊乃はとの作品『遺愛』と近からず遠からずの雰囲気。そうありながら異なる作品でした。私にはそのように感じました。また、本作から感じた喪失感は日常のふとしたきっかけで自分でも味わう過去の記憶の浮き沈みの繰り返しを経験するようなものでした。読書中わが身であったことを思い起こし、子ども社会での近所づきあい、苦い思い出。微妙に嫌だった親世代との相互理解のしづらさや面倒臭さなどが蘇りました。作品の内容と自分の過去はまったく異なるのですが、過去の暮らしに思い巡らせあまり嬉しくなかった出来事をああだったこうだったと思い返します。子どもの時分に嫌だった気持ち、今ではなぜか忘れて引きずっていないことにも気づかされます。私にとって嫌悪の喪失なのだと思います。それは大人になっていく過程の経験から様々な価値観や思想、他人の存在を受け入れていき吹っ切れてしまったのではないだろうかと考えさせられます。嫌気や苦しさの記憶もその場所から離れてしまえば、いずれは喪失するのだろう。事実今の自分がそうであるように。本作を読んでいるとそんなふうに思いました。
『富士の雅称』 玄川透
■自らを追想しながら地元の城跡をガイドするフォン(ヒロイン)。
本作を読んだとき、むかし自分も名前をからかわれてとても嫌だったことを思い出しました。名前もだし、髪質も、幼いころネタにされ、因縁をつけられ嫌だった記憶が私にもありました。自分の力でどうにも変えられないことへいちゃもんをつけてくるのは子どもの残酷さの一つでしょうね。マイノリティに対して思いやりが根付かない、快く思えない排他的なメンタルはどうしてなくならないんだろう。そう思います。本作のフォントというヒロインを通じて見えてくる彼女の周囲の人々、日本に育てば当たり前のように私も見てきた人たちでした。そしてともすれば自分がいる場所やコミュニティによっては私もフォンのような人を蔑む側の人間、或いは蔑まれる彼女に関わることを避け、見て見ぬ振りをする人間だったかもしれないと恥を知る心地です。そんな人と人との関係性はいつまでも絶えることはないのでしょうか。世代をまたいでもあり続けることへの疑問。どこかで絶えて欲しいですね。誰もがフラットであることはどうしてこうも難しいのかと思う昨今の社会でもあります。人類は歴史から実は何も学んでいない。そんなことを思わせてくれる作品でした。
『あらゆる故郷に根を伸ばす――なぜ故郷喪失を語るのか』 藤井佯
■故郷喪失について考える作家藤井佯。本書収録作品への解説的・考察など。
ロバート秋山・ポケモンBGMは知識がありませんでした。なのでこの機会に動画を探して視聴しました。思ったのは、あれはその場の即興でロバート秋山が歌詞をのせたのでしょうか……。そこがわからないところでした。本考察でいう郷愁をどう受け止めるかについてポケモンを良く知る人は同意するところがあるのではないかと思います。
ここでは作家藤井佯の視点で故郷喪失について語っていかれるところに興味深さがありました。なるほどと思う箇所や世代が私とは異なるため、若々しいと感じた目線があったと思います。また文人著作を引用されて論考に説得力を持って挑まれていることにも、本作に対しての熱心さと真摯なさまをうかがえます。作品を創られた意欲が熱く伝わってきました。
小説作品ではないのですが興味深さにおいて類をみない点がありますので本考察、一作に並ぶ価値ありかと思います。
『編者 藤井佯 / 発行 鳥の神話』
本書のデザイン装丁など本の設え全てワンマンで手掛けられたことと推察して鑑賞させていただきました。
表・背・裏表紙デザイン。ジェットコースター滑走路骨組みの青。本書の表・背・裏表紙に渡り在るこの色、おそらくカラーデ画像ザイン表紙・裏表紙の中で白に次ぐメインカラーだと思います。この青の色味と背表紙への選択が私にはとても心地よくて気に入りました。さらに、ふわっと薄青色の霧をなすように青い風合いが画像全部を包んでいます。それも心地良い。多くのカラー画像の色は基本色か、自然光のままの配色になります。赤系、黄(黄緑)系、青(紫)系に必ずどこかに寄ってしまいます。で、本作デザイン画像については青味を感じる色彩感、寒色系でしあがっています。画像に在するモチーフから背表紙に選する色はシャトルの赤、背景とシャトルの白、レールの黄緑、木々や植物の緑、レールの骨組みの青が予想できます。中でも赤はタイトルに使用されているのと、この色では作品全体の雰囲気を考えると背表紙の色には面積的にも広く明るさを強調しすぎるなと思えました。この赤はタイトル文字、サブタイトル、編者名の表示のデリケートな大きさにちょうどよく似あっているように思います。話を戻して、故に寒色で視覚的に奥行きを感じさせるレールの骨組みの青を選ばれた点に本作表・背・裏表紙への配色センスの良さを見ることができました。白抜きの写植もきれいですね。
本文。こちらは申し分ない美しい組版でした。随所にわたる文書のレイアウト、文字の大きさ、字体、行間、余白、ノドなどすべてに至るまで本づくりの手練れを感じさせる視覚的読み手への配慮の親切さを感じられます。紙色のクリームも柔らかくて目に良いです。惜しむらくは一点。作家さんの筆名にふりがなが欲しいところでした。同人誌で拝見する作家さんは知る人ぞ知る率が高いと個人的に思っています。これを機会に知った作家さんの作品を他に調べたいとき、筆名の読み方がわかっているとありがたく思います。
〆
本書作品の編者、藤井佯さん(これより敬称使用)のまえがき・あとがきにあった意図、その狙い「読者に感慨を持たせる」は、読み手側には大いに達成できているのではないかと思います。少なからず私の場合は、省みること、故郷を喚起させられる瞬間は多々ありました。年齢的にも昔のことばかり思い出してしまうせいがあるからかもしれません。そんな私にとって本書は現在の日本で生きる日本の若い世代(自分よりは若い)の作家の方々が思いはせる故郷をみずみずしく感じとれたと思います。さらにその新鮮さから改めて時代をさかのぼりわが身のときはこうだったと違いを再確認できてありがたい作品でした。読了がとても心地よかったです。この心地よさは娯楽的に心躍るものとは明確に違います。「故郷はいずれ失う・既に失っている」その気持ちがわかるからこそ再確認し、これからを前向きにと思える、どう生きていこうかと考えられる、そういった自覚や気づきの心境の変化による心地よさではないかと思っています。考えるきっかけをくれる一冊です。
収録されている作品はどれも、テーマこそ「故郷喪失」であれ各々ジャンルに囚われることなく多彩でした。冒頭に私が述べていました本書のタイトルに感じた重い響き、それは一概に同じではなく異なります。予想を超えてくれる方向性の豊かさがありました。文句なしに素晴らしい同人誌でした。
これで『沈んだ名 故郷喪失アンソロジー 藤井佯 編』の感想は終わりです。本作の良さは伝わったでしょうか、そうであれば私は嬉しい。関心をもたれましたら本書作品をお手元にどうぞ。
■次回予告
次の感想記事更新は『Sci-Fire2024【特集:海】野生のSF』です。作品数が前作より多くページ数も大幅増量で舞い上がっております。
それでは、いずれまた。
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