関心領域(ネタバレ注意)
目を塞ぎたくなる映画は数多くあれど、こんなにも耳を塞ぎたくなった映画はかつてあっただろうか。
事前情報をほとんど入れずに観たので、冒頭の「不快な音」で驚かされたし、早くこの苦痛を終わらせて欲しいと、いつの間にか願っていた。
私たちは「ユダヤ人虐殺」という悪夢と塀一枚を隔てただけの、「幸せな家族の暮らし」を終始観せられる。
プールや温室付きの豪華な家に住む家族で、お父さんが単身赴任になってしまうけれど、昇進してまた戻ってくる。少しお金持ちの、ありふれた家族だろう。そこに流れる「音」や「背景」を除けば。彼らの生活のバックグラウンドにはユダヤ人を焼いて「処理」していることを示唆する煙や、叫び声、銃声などが常にある。
あるYouTuberが、この家族にとってこうしたものは「生活音」となって聴こえなくなっている。と言っていた。そして現に、私も映画を見る間に慣れるという経験をし、おばあさんが気にしている様子を見て我に返った。ただ、頑なにアウシュヴィッツに留まりたがった母親も、小さな息子もどこかで塀の向こう側を気にしているように私は思った。母親がメイドに「旦那に言ってあんたも燃やしてしまう」と言ったり、男の子が、リンゴを奪い合って罰せられているユダヤ人を耳で想像して、「二度とするんじゃないぞ」とつぶやくシーンがあるからだ。
しかし彼らにとって「人間が殺され燃やされている」ということは全く実感としてないのだと思う。すぐ隣で起こっていることであるはずなのに、まるで他人事。自分たちの生きる世界の出来事だとは思っていないのだろう。丁度、世界で起こっている戦争をニュースで消費する私たちのように。
現代を生きる私たちにとっても皮肉だなと思いつつ、関心を持っていないようで実はダメージを受けている可能性があることも、父親が(ストレス??)で身体を壊していることで、この映画は教えてくれる。
情報が手に入りやすくなることで、それぞれの情報に対する関心が薄れてしまうこと。関心を持たないと深く知ることの無い世界があるとしても、実は情報は勝手に入ってきていて、それなりに心を揺らしていること。私は少なくともこの2つを再認識した。よい映画だった。
ちなみにエンドロールは不快音に耐えながら全部観た。この音響ありき映画ではあるので、是非とも映画館での鑑賞をおすすめしたい。