教育の歴史の扉をちょっと開けて
まずこの時間に起きられていることがちょっと奇跡に近い。
最近は21時前に3歳の長男、0歳の長女、妻で寝室に行く。そして、そのまま寝るという流れができているため、久しぶりにこの時間に起きていて、noteもできている。こういう時間てやっぱり大切だな。
今日は、子どもが寝たらぬくっとリビングに起きてこられた。よし!
さて、本題へ。
今週は、様々な心の動き、様々な思考が働いた1週間だった。
まずは、当記事で話題にするのは
“NPO法人 授業づくりネットワーク理事長 石川 晋 先生の連続講座”
テーマは「90年代以降の民間教育」
時間が経ってしまったが、振り返ろうと思う。
子どもの寝かしつけの関係上、途中で退室しなければならなかったが、途中まででも様々なことを考えさせられた。
民間教育研究団体である歴史教育者協議会、数学教育協議会、科学教育研究協議会、全国生活指導研究協議会、水道方式、仮説実験授業といった1950年くらいから1960年くらいまでに発足した民間教育研究団体について話があった。中でも、仮説実験授業と科教研は、一応理科を研究している身としては馴染みある団体である。
そういった様々な団体の発足後に、大きな組織として発足したのが「法則化運動」である。いわゆる、今でいうところのTOSSである。
個人的には、この法則化の考え方や実践には、多く学ぶことがあり、影響力の大きさに感心している。ただ、違和感を感じることが多い。悪い団体ではないのだが。
この法則化の話の中で、法則化の実践記録は「再現可能性」という文体を主張する。対して、授業づくりネットワークは「伝達可能性」という文体を主張するというのだ。
「再現可能性」というのは、子どもが授業中に叫ぼうが、不規則発言があろうが、すべてはカットされ、教師の指示と指示によって動く子どもの事実が綴られるという。
「伝達可能性」というのは、教師や子どものささやかなエピソードまで綴られるという。
個人的には、「伝達可能性」の文体を自然とやっていたように思う。
子どもの言葉とそれに対する仲間や教師の反応など、ノンフィクション的で物語のような書きようは、より教室をリアルに浮き上がらせるというよい意味があるのではないかと思う。
2000年に出てきた総合学習についての話に。
いよいよ学級崩壊が本格化していく中で、余裕のある教員がいない中で総合学習は学校現場に入ってくるのである。そうなると、実践できるのは余力があり、教室をキチッとまとめあげている教員が実践するしかない。その教員たちとは、法則化で技法を磨き上げてきた者たちだというのだ。
石川先生は、「総合学習は、魅力を失われて撃沈していった」と。なるほど。
総合学習を研究している同僚がよく言っている
「総合の本来的意義を理解されていない現場が多くあり、結局のところ総合は空いた時間の埋め合わせにしかなっていない」と。
石川先生は、「恐らくアクティブ・ラーニングもまた、魅力を発揮できないで終わるだろう。」とあった。その恐れは、現実として受け止めて何らおかしくはない。
私は、途中までだったが、民間教育研究団体の発足から現代教育史を追っていく中で思うことがある。
教師として、不動で一貫している指導力や技法を身に付けることは大切だと感じているし、今も必要なことだ。
しかし、子どもたちの学びがアップデートされていっているにもかかわらず、偏った技法主義、経験主義、超教師主導主義に陥るのはこれからの子どもたちのためにならないと思うのだ。
これまで多くの実践家たちが積み重ねてきた実践の軌跡も大事にしながら、新しい教育実践を創造していくことが大切なのだと思う。
昨日、東井義雄の「村を育てる学力」が届いた。夏の読書に買ったものの1冊だ。
これは、今回記事の中心にした教育史に比べ時代は遡るが、私は、戦争を経験した教育者の思想や実践からは今もこれからも学んでいく必要があると考えている。
東井義雄に関する本を以前読み、ちょっぴりファンになっている。人間的な温かさが伝わってきたからだと思う。ゴリゴリに教育技術に前のめりになっていない点が、私の教育観にぴったりだったからだと思う。
東井義雄の実践を私なりに改良して取り組んだ。書くことが不得意な教え子と文のやり取りをしたのだ。やり方はもっと改良が必要だとは思っているが、書くことで心が通じ合うということの大切さにも、以前に比べ考えさせられることが大きいことに気付く。
温故知新 (故きを温ねて 新しきを知る)
この言葉は、ずっと私を追いかけてくる。しかし、追いかけてきてくれた理由が今回の講座で気付かされたような気がする。
この夏は、教育史に残る人物の本を読んでいこうかな。
さあ、まだ書きたい内容はあるが、さっきから睡魔が凄まじい勢いで襲ってくる。
さ、今日はもう寝よう。
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