『わたしの献立日記』
★沢村貞子『わたしの献立日記』(新潮文庫)
名女優であり、エッセイストとしてもたくさんの著作がある沢村さんのだんなさまが『映画芸術』を発行されていた方だと知ったのは、恥ずかしながらこの本を含めてまとめて何冊かに目を通してからだった。芝居一家にうまれて、波瀾の人生といわれもした彼女の、地に足のついたエッセイは、生きていくうえでほんとうにたいせつなことをおしえてくれるようだ。
この本は毎日書きとめた献立と、献立日記、献立ひとくちメモから成る本。献立表を見て、思わず目をひかれるのは、朝のサラダ。とにかくいろんなものが入っていて、思いつかなかった組み合わせ。たとえばある日は、「セロリ、もも、トマトの乱切り」、またある日は、「レタス、バナナ、キウィ、トマト、大根、いちご」。びっくりするような奇抜な組み合わせに思えるけれど、ちょっとまねしてみたらどうだろう?という気にも。どんなに忙しいときでも、必ず朝食をとった沢村さん。「朝ごはん」という献立日記も、参考になる。
どんなに忙しいときでも、わが家では、かならず朝食をとった。なんの仕事も、おなかがすいていてはうまくゆかない。ことに俳優は、満腹もいけないけれど、空腹もダメ。腹六分目ぐらいでないと、芝居は出来ない。そのことを痛切に感じたのは、その頃、つづけて大船撮影所へ通っていたせいだと思う。当時はたしか「紀ノ川」の撮影がながびいていた。毎日、たいてい九時開始ーーということは、それまでに、その役の支度をすっかりととのえて、セットへはいることだった。朝は裏方さんが忙しかった。髪を結い、化粧をととのえ、衣装を着るのに一時間はかかった。私の家から大船まで一時間半。八時に撮影所の門をくぐるためには、六時半に家を出なければならないから、五時半起床、六時朝食、ということになる。
低血圧の私は、なんとも朝が辛かったけれど、それでも何とか床から離れ、雑用で身体を動かしてから、朝食をとるーー自分でそう決めていた。機嫌の悪い胃袋を、だましたりすかしたりするために、いろんな野菜や玉子を放りこんだ雑炊が多かったけれど、それでも、おなかにものがはいれば、身体がしゃんとした。
その代わり、朝おそい日は、軽くて栄養のあるものを、ゆっくり楽しんだ。おいしいパンに濃いめの牛乳をたっぷり。玉子は半熟のゆで玉子、目玉焼き、オムレツなど、姿かたちをかえるようにした。ことに気をつけたのは野菜だった。ジャガ芋、人参、きゅうりにハムを賽の目に切り、マヨネーズであえてレタスの上に形よく盛った次の日は、緑と紫のきゃべつ、きゅうりの細切りを赤いトマトの輪切りで囲み、ドレッシングを添えたりして、なんとか見た眼を美しくーーつい、箸が出るように工夫した。
それでも、齢を重ねるにつれて量が減ってくるし、固いものは残したりする。それなら果物もまぜてーーと、レタス、トマト、バナナ、キウィフルーツ、人参、大根、パセリなど、と冷蔵庫にあるものを手当たり次第、ほんのすこしずつ、お皿に盛ったところは、まるで子供のままごとみたい。きゃべつや玉ねぎをハム、ベーコンなど合い性のいいものといためることもある。
この七、八年、パン食が多くなったけれど、週に一、二度は、炊きたてのご飯におみをつけ、海苔に納豆、干物にお漬物などーー宿屋ふうにしてみたり、寒い朝は餅入りの白がゆ、さつま芋の芋がゆ、とり肉とみつばの雑炊などと、あれこれ気をかえる。ときには、朝からざるそば、きつねうどん、スパゲッティーなどと、家人の註文に応じることもある。
(2004/12/28)