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心の不調に気がつくということは
ptsdは、心を守る行動が背景にある。
私の回避行動について
とても心が保てないような辛いことが起こってから、その場所が見えることで、辛い気持ちになることがある。
気づきは、耳なりから。後に低音声難聴の診断。
現在も右耳はザワザワしてるとほとんど聞こえていない。
それでも、その場所に行かなければならいことがあった。
その場所へ行くために、買ったチョコレートや、気持ちの切り替えのために聞いていた音楽もトリガーになっている今。
対処していくために、新たな方法を考えコーピングしていたはずが、それ自身がトリガーになり、そもそもその道が通れない。
好きだった音楽が聴けない。
同じような建物が見れない。
チョコレートを見ると辛くなる。
その状況に気がつく頃には、回避したいものだらけになっていて生活の幅が狭くなっていく。
回避行動という、心を守る知識として知ってるはずなのに、自分の症状に気がつくことには、時間を有する。
持病の婦人科受診の時に、医師に専門の看護師がいるから話して帰ってみたらと、勧めていただいて丸ごと受け止めてもらい。
そこで初めて気持ちを自覚。
これはプロに頼ろうと、仕事の領域では関係なかった心理士さんにかかる。
心理士さんは、根気よく付き合ってくださる。
それでもいいじゃない!
心が病んだ自分の気持ちを認めていくことにも時間が必要になる。
日常では、心に寄り添う仕事なので、
私の相談室では
自分の価値観に気がつくような質問と、自分のことを認められるようなリソースを探すダイアローグを大切に一回のセッションを
構造化してる。
これが、自分の考え方の癖になると
仕事では相手に気づいて欲しいことをセッションの中で大切にしているのに、
自分はその考えでは駄目という考えで
許せない。
まして、心の仕事をしてるのに
傷ついてる心を肯定するという作業が
すすまない日が続く。
心の動きや、心の成り立ち、そうなる背景が分かってたってもがくもの。
あなたは。専門職だもの。
分析しながらすすめたらいいのよ!
私はこの言葉を落としどころに、傷つき体験と向き合っていく覚悟が持てた。
気持ちはゆらぐし、何かわからないけど、涙が出て困ることもあり主治医に話そうという気力すらない日もあるけど。
ネガティブな現状とも付き合うのも、心を守ることなんだと思う。