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misora32349
言われた側の言葉は残る
久しぶりに出会う。
ものすごく攻撃的なことばを放ってさよならしてる。
日が経つと、まるでなにもなかったかのように関係なく、話せる人がすごいな。。
と感じる。
そのモードになれないのよ。。
自分自身の許容量の狭さなのかと普通に考える案件。
責任の転換などは
場合によっては、心を守る行為。
集団で、私は悪くないと他責になるのも
社会心理学でいわれてる通りなのだと思う。
現象として起こる。
人の症状だと理解しても、
感情レベルでは受け付けない。
特に自分ごとでは、無理だと最近思う。
人の心は人であるが故の怖さなんだと
トラウマもちの心理師としては思う。
そうせざるを得ない状況なのだと理解はしても
他者のことだと分けられても
自分のことになると
あっという間に巻き込まれる。
心のシステムを理解しても
上手くいかないこともある
トラウマ場面の言われた時の声のトーン
体感温度、自分の服装、
天気、飲み物など色褪せることなく
すぐに蘇る。
いつか、このトラウマは私の中で
あるものとして受け入れられていくのかな。。
なくならないトラウマと生きること
中々に予想がつかない。
まずは、明日のことを考える。