海外にいようが、日本にいようが、頑張らないといけないことに変化なし
こんにちは。
大学院を卒業して6カ月、母親業も6カ月が過ぎようとしているここ最近です。
母親になって、家にこもるようになり(それでも散歩は一日三時間は行く)家事担当になってきて、つくづく、私本当に家のことするの苦手だな~と感じるので出来るだけ早く社会復帰したいところ。
まぁ、社会復帰しても家事は逃げてくれないんですけど、入っている保険が40%くらい家事手伝いさんを雇った時の奉仕料を負担してくれるそうなので、様子見て使ってみるのも一つの手かな。
ベイビーと過ごすようになって、これは本当に大変で身体も心もやられますわ!と思って、院にいた時なんかよりもすごいしんどいなぁと思ってたんですけど、一時帰国した際整体に行くと
副交感神経が優位になってますね~
きっと、頑張ったほうが気がうまくまわるタイプなんですねぇ~
と言われてしまった。
え。。。?ストレスフルと思ってたんですけど(^^♪
まぁ確かに頑張ってないとなぜかしんどくなってくるので(謎のこの性格ほんと無理ぃ)整体師さん、鋭いな~とおもい、そして事実確かに頑張れば出来そうなことを無視してゴロゴロしてたな~と思ったので、就職活動しないとなと踏ん切りがついたのです。
社会的属性の喪失が生む虚無感
母親になったことで、今の自分が失っているものは社会的属性である。
もちろん家族を一つの社会とみると、そこに属性があるのだけれども、どうも私はワガママなタイプで家族だけでは物足りないらしい。
そういえばスイスに来た直後も夫に泣きながら、私が必要とする人がここにいないし仕事も無いし今ここで私が突如消えたって誰も気にやしないなんて怖すぎるぅ~って言ったことがあったなぁ。
今思うと悪気なくそれを夫に行っている自分に戦々恐々とするもんだけど。
院も出たし、ドイツ語も勉強できるとこまではしたし(C2は知能的限界がある気がするから)確かに残るは就職、そしてその就職さえ可能になれば社会的属性も手に入れることができるんだぁ!!と日本にいた時は就活やる気満々だったんだけど、ここでふと、なんで私こんな頑張らないといけないの?と考えてしまう自分がいるのです。
スイスに来て7年が経つ。
始めの二年半くらいはドイツ語に投資(200万くらい)
三年は院(スイスでのディプロマ)に投資(ここもざっと交通費合わせて150万くらい)
残りの凝縮されてる二年くらいは一時帰国とかバイトとかしてたんだと思うけど。
またここからひと踏ん張りして就活せないかんのか?
なんで私だけこんな頑張らんといかんのか?
スイス人スイスドイツ語話すんやなくてな、ドイツ語話してくれや?
ほんでドイツ語嫌やからって英語急に話しかけてくるな?
ってまぁ最後の二つは悪口なんですけど、もう頑張るのやめようかな。
このまま専業主婦になって生きることもできるし、嫌いな家事と毎日向き合って精進する道もあるのかなとかね。思っちゃうんですけど、きっと家事しているほうが自分にとっては‘頑張り’の指数が高くなっちゃうので、就職するしかない。っていう結論になるんですよね。
特にやっちゃいけないのに、もし日本に帰ったらどんな仕事に就けるかな?とちょっと自分のキャリアで職種探してみると、修士しかないのに大学で教鞭取れるとか、高専でいいお給料もらって自己実現に沿った仕事に就けるそんな道もあるのかと思うと、ここで妥協しながら、事務でいいや、こんな自分(移民)なんかもらえる仕事あれば有難いんだとか、諦め半分の精神もってる自分も情けなくなってくる。
でもいつもこの波がくると、絶対に言語化して自分を客観視するようにしています。
きっと日本にいて何かの仕事に就いていても、きっと他の国に住んでいたほうが楽なことがあったとしても、結局どこかで何かを頑張らないといけないという事実は普遍で不変であると。
なので、スイスにいるからこんなに頑張らないといけないんだという考えは、全くの思い込みであることを自分に突き付けるようにしている。それでもやっぱり日本でぇ~…とか思っちゃうけど、年を重ねるごとにチャレンジする気力が失われていくのも痛感しているので、人生で一番若い今、チャレンジするなら日本帰国がスイスで就職どっち!!!???と聞かれたら、まぁ後者なのでスイスで就職頑張りますか…
頑張って就活したら、交感神経のバランスも取れて腰痛も無くなるかもだし、また一つ頑張ってみよう~と思った今日なのでした。
チューッス!