
Erving Goffmanの"Regions and region Behaviour"についてまとめました。
こんにちは。
今回はErving GoffmanのRegions and region Behaviourという論文をまとめていきたいと思います。
誰かの学習の参考になれば幸いです。
私たちは日常生活でシーンごとに分けた演技をしている。
Goffmanはこの論文の中で、私たちは常に演技をしている。ということについて述べています。
会社での自分、友人と過ごしている時の自分、1人で家で過ごしている自分、社長と話す自分、街中を歩く自分。
こういったシーンを想定した時に、常に自分が同じ動作、話し方、振舞いをしているのではなく、シーンごとに“自分”を使い分けているな、と感じませんか?
この日常の無意識の振舞にGoffmanが着眼し書いたものが、今回紹介する論文になります。
今回の論文でKeyとなる単語は
・Front region
・Back region
・The outside
の3つです。まずはこの3つの単語についての説明からしていきたいと思います。
Front region とは
Front regionはよく、Front stageとも同じ意味で使われることがあります。
GoffmanはFront regionを
演技が行われる場所のこと
と定義しています。
演技が行われる?と感じるかもしれませんが、先ほど上に書いたように、Goffmanは、我々人間は日常生活の中でそれぞれのシーンに合わせて自分を演じていると述べています。
要は、Front regionとは、私たちがAudience (聞き手など)に向けて自分を演じている空間だと定義しているのです。
更にGoffmanはこの日常生活の振舞をもっと細かく分析しました。
Goffmanによると、Front regionで行われる動作は一見、Audienceに向けられた演技に見えるが、結局は自分自身がAudienceから気に入られるように意識的に振舞っている動作である。と述べています。
また、我々はFront regionでは、politnessとdecrumを意識していると分析しています。
今回のまとめは先にあげた3つのKeyを中心にまとめていきたいと思うので、これ以上掘り下げていくのはやめておこうと思います。
Back regionとは
GoffmanはBack regionを
Front regionとは対照的な場所。
と定義しています。
先ほど説明したFront regionでの空間やパフォーマンスがAudienceにむけられているものというのに対して、Back regionは周りからの視線や要求が無い場所で、要は一個人がくつろげる場所だととらえています。
また、Goffmanは彼の論文の中で、Back regionは他人からの侵入を受けない場所。と定義しています。
Front regionとBack regionの立場が変わることもある。
上に述べてきたことを日常生活に結び付けて説明していきたいと思います。
論文にも書かれていた社長室を例に説明していきたいと思います。
社長室。という単語を聞いたとき、我々は
・来客を迎え入れる大きなソファ
・社長が使用する大きな高級感溢れる机
・机と共に備え付けられた、社長が作業時に使うふっくらした椅子
・机の上に置かれた“社長”と書かれた札
などなど、社長室を象徴するものをいくつか想像できると思います。
その部屋でその会社の社長である男性が来客と過ごす時は、彼は“社長”という役を社長室で演じることになります。仮に清掃業者がやってきても、部下がやってきても、彼は社長という役を演じることになるので、社長室というのは、彼にとってFront regionとなるわけです。
(このシーンでは他の来客や清掃業者や部下は、彼が“社長”を演じているのを見る役になるので、社長にとってのAudienceとなります。)
しかし一旦それらのAudienceが社長室から去ると、彼はネクタイの紐を緩め、社長室でぼーっとしてみたり、誰からの視線を受けることも無くリラックスした状態に入ります。
このシーンに移り変わった瞬間、Front region は Back regionへと変化するのです。
要は、我々はBack regionでの振舞をすることにより、Front regionをBack regionへと変えることが出来るのです。
The Outside について
Front regionとBack regionについては、たくさんの研究者が私たちの日常行為をこのGoffmanのセオリーに結び付けて論文を書いていますが、The Outsideについて詳しく述べている論文というのは実はまだ多くないので、割とないがしろにされがちですが、ここで簡単にまとめていきたいと思います。
GoffmanはOutsideの空間を
Front regionともBack regionとも結びつかない、関わりのない空間
と定義しています。
例えば、自身が友人とカフェにいるシーンを思い浮かべてください。
このシーンをこれまでのGoffmanの定義に結び付けると
カフェの店員さんと話す時の振舞、声量、気遣いなどがパフォーマンスできる場所はFront regionになるので、カフェはFront regionと定義付けることができます。
ここでのAudienceはカフェの店員さんになります。
自分の席に座り、店員さんが近くにいなくなったカフェの空間は、友人とゆっくり過ごせる、くつろげる空間になるので、Back regionもカフェと定義付けることができます。
Outsideとは、今説明してきたFront region, Back regionとも違う空間のことなので、カフェの中であなたと友人が座っているスペース以外の空間がOutsideとなるわけです。
基本的にFront regionやBack regionでの振舞は、Audienceに対して行われていることなので、想定しないAudience、要はOutsideにいる人たちはOutsiderと定義付けられるのです。
一度この空間をまとめると、
Front region・・・カフェ (特に自身が店員さんと関わっているときの空間)
Audience・・・カフェ店員
Back region・・・カフェ (自身が友人と話をしている空間)
Audience・・・友人
Outside・・・それ以外の空間
Outsider・・・Audience以外の人々(店員や友人以外の人々)
例えば、このカフェのシーンで話が盛り上がり、恋愛話や自分の恥ずかしい過去の話などになったときに、急に隣に座っている人と目が合ったとします。その瞬間、だいたいの人は、聞かれたくない話を聞かれてしまたのではないかと、恥ずかしい気持ちになると思います。
基本的にBack regionでは話し手はリラックスした状態でいるので、予期していなかったAudienceがいると動揺してしまうのです。先ほど上にも書いたようにBack regionというのは他者が侵入できないスペースになっているので、予期しないAudienceがいた時に、我々は居心地の悪さを感じてしまうのです。
このセオリーを現代に当てはめると?
さて、このGoffmanの見解を基に色んな論文が出ていますが、特に興味深いのがSNSでのFront regionとBack regionの使い分けではないでしょうか。
例えばあなたがInstagramやTweeterのアカウントを2つ持っているとします。
1つは昔からの友人や家族をフォロワーに持つアカウント
もう1つは他のアカウントとは違うフォロワーを持つアカウント
の2つのアカウントを同時に持っていると想定しましょう。
1つ目のアカウントでは、友人と週末に行った場所や家族と過ごした時間を共有する場として使用し、2つめは自分の趣味についてのみの投稿を行うアカウントを持っているとします。
現代ではこうしたSNSの使い分けをしている人も多いかと思うので、自分の状況と当てはめてもらっても構いません。
1つ目のアカウントは友人や家族とコメントで交流し合ったりもできる自由気ままな空間なので、Back regionと定義することができるでしょう。
2つ目のアカウントは、趣味関係の投稿のみをしているので、家族や友人は逆にフォロワーにはおらず、今まで会ったことの無い人達がフォロワーにいる場合が多いと思います。このアカウントでのやりとりは、家族や友人とはまた違った表現をするので、Audience(フォロワー)とは若干の礼儀や距離感がある空間になるため、Front regionと定義することができます。
例えばこの2つのアカウントをそれぞれ持っていることを、自身が隠していたら、家族や友人には2つ目のアカウントの存在は明かしたくないでしょうし、2つ目のアカウントのフォロワーには1つ目のアカウントの存在を明かしたくないという状況が起こりえます。
したがって、1つ目のアカウントのフォロワーが2つ目のアカウントを発見し友達申請してきた際には、そのフォロワーは2つ目のアカウントのOutsiderになり、その逆も同じく、2つ目のアカウントのフォロワーが1つ目のアカウントを発見し、友達申請してきた際には、1つ目のアカウントのOutsiderになってしまうということです。
要は、それぞれのアカウントで違う自分を演じている時に、予期していない誰かに自分の違うシーンでの振舞を見られるといい気分がしなくなる。という構図をGoffmanはFront region, Back region, OutsideまたはOutsiderにカテゴリ分けして社会を分析したのです。
皆さんの日常にもこういったシーンの使い分けが存在するでしょうか?
一度自分の振舞についてこのGoffmanのセオリーに当てはめてみると面白いかもしれませんね。
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