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代官山おじさんの話

晴れて念願の一眼レフデジカメを手に入れたのは19歳になる直前だった。

「大学受かったら、わたしもカメラ欲しい!!!」といい続けて、第1希望でもなく、第2希望でもなく、第3希望くらいの大学に仕方なく入学が決まったくらいの時期だった。

いまでこそ「パパ活」なんて言葉があるが、まだ私が若いってだけでチヤホヤされ、自分のバイト代では体験できないことをちょっぴり味わっていた時代。言ってしまえば、わたしの自意識がインフレ化し、隣に座れば問答無用にチヤホヤされるものだと思っていたし、それなりの高飛車な舐めきった態度で世の中を見ていた。

そのおじさんは、バカみたいに高価な外車で迎えにくるとか思えば、普通に地下鉄で登場することも多かった。大体はその人の空き時間に、おじさん宅の最寄り駅か勤務先の近くで待ち合わせは会っていた。昼間が暇な彼にとっては、同じように昼間が比較的自由な女子大生はちょうどいい相手だったのだろう。

よく食事に連れて行ってもらった、そこそこ高級店から、汚くて安くてうまいエスニック料理のお店まで。そこで私は口説かれるわけでもなく「最近付き合った(?)ばかりの20歳の看護師」とか「東南アジアのシルバアクセサリー店で顔見知りになった美人な店員さん」の話に延々と相槌を打つのが仕事だった。

なにかある度に、「若いのにいろいろ知っていて偉いね」「かわいいのに博識だね」と彼が条件反射のように呟くうわべだけの相槌を屈託なく信じていた。

彼の気まぐれで日帰りの国内旅行に連れていかれた時、いつもと違う景色や体験に心が躍った。行き先は彼がその時の気分で決めることが多く、私にとってはサプライズの連続だった。温泉地や観光名所、時には地方の小さな町まで、普段なら訪れることのない場所ばかりだった。どこに行くのか知らされないまま、車に乗せられ、窓の外を流れる景色を眺めながら、その日がどんな一日になるのかと胸を躍らせていた。

車中では、私たちは時々他愛もない話をしながら、時には静かな沈黙の中で流れる音楽に耳を傾けた。彼が選ぶ音楽はいつも私の趣味とは違っていたけれど、それが新鮮で面白かった。そして、目的地に着くと、彼はその土地の名物や隠れた名店を案内してくれた。

私はいつも、これまた別のおじさんからもらった一眼レフカメラを持っていっては、いろんなものを撮った。

彼が求めているのは賢さではなく、物分かりがいい若くて素直な子だとはわかっていたけれど、なんとなくこのポジションが終わることが想像できず全能感で満たされていた私は、この謎の関係に少しのサービスとやや多くのわがままを振りかけては、スルメのように旨味だけをしゃぶっていた。

ある日、「あの子ならば結婚してもいいかなって思っていたんだよね。でもタイミングが合わなくって」とぼそっと話されたことがある。この世の中で結婚から最も遠い属性の人だと思っていたから衝撃を受けた。

私が現在の職場で働きはじめた時も何度か、九段下あたりでランチを食べに行ったことはあった。でも、だんだんまやかしのチヤホヤに飽きてきた私と、彼の中の「若い子枠」から外れて関心が薄れたことによって、片手では足りないけれど両手では余る年数ほど続いた関係は、自然消滅をたどった。


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