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涙のモツ煮込み

料理が好きではない私がたまに
自分でもこれは美味いと思う料理が出来上がる。

最近は豚の白モツで作るモツ煮込み。

"ボイル"と書いてあっても一応茹でてから使う。
その間は家中がモツのニオイでいっぱいになり
子供たちからはこの瞬間はクサいと言われる。

そもそも白モツは豚の腸だ。

豚がとても可哀想で仕方ない。

良いとは言えない環境で育ったかもしれない豚が
可哀想な環境で辛く苦しい中で屠殺され
死んだのちに肉,骨,内臓を切り刻まれ小分けにされ
茹でられ
クサいと言われるのだ。

もし自分だったらと思うととても耐えられない。
飼育環境でもう耐えられない。
でも動物は辛いからと自分で命を絶つことはしない。

そういう訳で私は肉を食べるのに少し抵抗がある。
特に安い肉。
どれだけ辛い環境にいたのだろうと考えてしまう。
まぁ出てきたら食べるし
子供たちは肉を食べたがるので
肉を買うし料理もするしそれを自分で食べもする。
美味しいとも思う。

まぁ私は小さい頃から魚派なのだが
魚をキレイに食べられると自慢するおじいちゃんに
負けまいと勝手に競っていたので
私自身今ではとてもキレイに魚を食べる事ができる。

とはいえ大好きな魚を自分で釣りたいけれど
口に刺さった針を取るのは怖くてできない。
捌けないこともない。

たまに買うイワシ10匹も
全員の内臓を取っている時に
自分がヤバい奴なんじゃないか,
内臓ひたすらえぐるなんてサイコパスだよな,と思う。
(私は内臓も食べる派だが子供用に全部取る。)

命いただき過ぎだろう。
せめて家族4人分大きめの魚1匹が妥当だろう。

そう思うと今度は
たらこやイクラ,シラスもダメだ。
何百という小さい命を噛み殺すなんて酷すぎる。
とはいえ私は小さい頃から寿司ネタはイクラが好きだ。

命をいただくってこういう事なのか?
気軽過ぎないか?

小さい頃から
そう習ってはいないけれど
ごはんを残さないように心掛けているのは
我ながら良い習慣だと思う。
満腹を無理して食べる事は逆に命に悪いなと思う。

腹八分目で収まる適量を頂くのでよいのだ。

そんな事を思いつつ
圧力鍋をほぼ毎日活用する私は
昨日はモツ煮込みを作って食した。
明日は牛スジ煮込みを作る予定だ。

ありがとう。豚。
ありがとう。牛。

エッセイ本の出版の為に書き続けます!よろしくお願いします!