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noteをはじめたわけ

昨年7月にアカウントを取り、ずっと放ったらかしにしていたnote。
なぜ今になって書きはじめたのか、整理しようと思う。

そもそもnoteを知ったきっかけは、友人からのおすすめだった。

プロフィール に書いているように、
私は「 甲kinoe 」という活動を通して学んだことを
まわりに伝え、微力でも「 日本に貢献したい 」と思っている。

それは伝統産業を起点にしながら、本質的には
自分が得た「 気づき 」をシェアし、誰かの刺激になれば良い
という想いも、畏れ多くも持っている。

普段は、Instagram を通じて少しずつ発信をしているものの
ついつい長文になる傾向にある。

伝えたいことを伝えるには、言葉なんていくつあっても足りないし
「 モノ 」でなく「 コト 」を重視して伝えたい私としては
Instagramへ投稿する写真の選定にも毎回頭を悩ませてしまう。

このことを知ってか知らずか、その友人はnoteをおすすめしてくれた。

けれど、そこから半年も放ったらかしにしてしまった理由は
「 言葉にするとこぼれ落ちてしまうものがある 」から。

それに自身の内面をよりさらけ出すことへの恐怖があったから。
( こちらの方が大きいかな )

友人は、想いをすべて言葉に乗せられるという。
けれど私はそうは思わなかった。
実際にそんなことが日常茶飯事で、残念な思いをしたり、
人を傷つけたり、本心とちがう解釈をされることがあったから。

私の語彙力のなさが大きく影響していることは明白だけど
言葉だけで表現が100%叶い、
コミュニケーションがとれるのであれば
芸術や音楽の存在意義は薄れると思う。

自身の想いを芸術作品として昇華する術を持つ人たちは
本当に幸せだと思う。
もちろん、そこへ行き着くまでの葛藤・努力があることも
少しは理解しているつもり。
尊敬すべき人たち。

さて、ではなぜ今なのか。

2月より新たな挑戦をはじめた。
そこで、たくさんの人に自己紹介をする機会があり、
あまりにも言葉にすることが下手だと感じた。

限られた時間、瞬発的なコミュニケーションが求められる
シーンでは、いかに言葉を操れるかが大切なのかを痛感した。

だから、これはトレーニング。
私の中に本当はたっぷりあるはずの想いを
上手に言葉にして相手に伝えること。

そして表に出すことへの恐れは、無くなったわけではないけれど
出さないことの方がよっぽど恐ろしい と感じたので

この人生を生きている、限られた時間のなかで
これからは、たくさんたくさん表現していきたいと思う。

書くことは たのしい。

(( 教えてくれて ありがとう ))


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