情報の取捨選択の話と情報は有限であるという話

母がげたげたとわらっている。
数日前私がAmazonだか楽天だか辺りから取り寄せた某かという本を読んで大いに楽しんでいるようだ。
「ちょっと読んで聞かせようか」という。絶対にやめろ、という。そうして少し揉めた。
全く食わず嫌いして新しいのに興味を持たないのはバカだ、という。知見は自分で広げるから結構だ。と思っている私は意図せず流し込まれる情報が本当に嫌いなのだ。興味がないわけではない。そもそも思考が合わない志向が合わないのがわかりきった母のおすすめをわざわざ摂取する余裕はない。自分の趣味が会う作家や呟きをしている人なら逆に一定の信用はしていいと思う。一生のうち受け取れる情報は有限だ。母も残り少ない人生の食事で不味いものは食べたくないと言っていたではないか。それは違うという。何が違うものか。同じだ。情報摂取のリソースを回したくない。それだけである。母はテレビ番組に影響され俳句を時たま作る。だが同じ理由で母の作った俳句も基本的に見ない。興味のない創作物の感想を求められるほど不快なことはない。ここには家族だからこその気だるさも追加される。

母に薦められて唯一よかったといえるのは「ルドルフとイッパイアッテナ」だけである。


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