
【はじめての一人暮らし】蟻とマリオネットライン その❷
3月が近づくと思い出す、はじめて一人暮らしをしたときのあれこれ。
その❶では、はじめての一人暮らしに突如現れた2つの黒い影の1つ目、「蟻」について書いた。
今日は2つ目について書く。
タイトルからおさっしの通り、マリオネットラインだ。
マリオネットラインとは、口角から顎にかけて伸びる溝(シワ)のこと。腹話術の人形=「マリオネット」に見えることに由来している。
その❶の蟻の到来と時を同じくして、それは私に忍び寄った。
夕方、家で1人「時効警察」のDVDを観ていた時のこと。オダギリジョー(霧山君)のセリフを追いかけるように、何かが聞こえたのだ。
「この件は誰にも言いません」
「アメンボアカイナ アイウエオ」
「時効ですから。」
「カキノキクリノキ カキクケコ」
霧山君が『誰にも誰にもいいませんよカード』を渡す時に流れるあのBGMの間も、確かに「ナントカナントカ サシスセソ」とか「ナントカナントカ タチツテト」が被さって聞こえてきたのだ。
そして、その声の主は一人ではない。4人はいる。
声をたどり、床に耳をくっつける。
「マーマーマーマーマー♬」
ビンゴ。1階からの声だ。
そして、噂のあれだ。なぜか「マ」で発音される謎の発声練習。
なるほど。私の下の階には俳優志望の人が住んでいるのか。さらに同じ夢を追いかける友達と集まって発声練習をしているなんて....尊すぎる。
都会の片隅でくりひろげられる青春に心躍らないわけはなく、その日をきっかけに、姿の見えぬ下の階の住人と、その友人たちの夢をささやかながら応援することにしたのだった。同じコーポから、未来のオダギリジョーや麻生久美子が出るかもしれないからね。
それから、数カ月、時折、朝5時頃から聞こえる
「アメンボアカイナ アイウエオ」
に、(オーディションかな?ファイト!)とエールを送り、
「コーラ!危ないじゃないか!」
なんて、白々しいセリフに
(うーーん、いまいちだけど、元気いっぱいでよろしい!)なんて批評などしたりしながら生活をしていた。
そんなある日のこと。
私は、駅前のコンビニでバイトをしていたのだが、そのコンビニに定期的にに現れるとある夫婦について、退勤前のバイトリーダー・Ⅿさんと話をしていた。
Mさん「あのさ、割と遅めの時間に現れる大きいリュックの夫婦わかる?」
私「あーなんとなくわかります。」
Ⅿさん「そうそう!あの人たちさ、人形劇団をやってて、私が小学生だった時から毎年学校に来てピノキオとか、三匹のこぶたとか色々やってくれてたんだよ。だから結構いい年齢なんだと思うんだけど、全然老けないっていうか、ずっと昔からあんな感じなんだよ。」
私「あんな感じ・・・? 荷物が大きいってこと?」
Ⅿさん「うーん、説明が難しいんだけど、あの人たちも人形なんじゃないかって私はひそかに思ってるんだよね。今度さ、その人たちが来たら絶対に口元を見てみて。きっと、私が言いたい意味がわかるから!絶対ね!!!」
Mさんの退勤と同時にちょうどお客さんの波が押し寄せ、レジでピッとしたり、おつりを渡しながらMさんの発言をじわっと味わっていた。
Mさんは「UFOを見た」とか「武蔵村山に行ったら本当に志村ケンがいてサインをもらったことがある」とか本気なのか冗談なのかわからない話をキラキラした目で語りがちだった。小柄でハスキーな声が魅力的で(そういえば伊藤沙莉ちゃんにとてもよく似ている)彼女の言葉は、どんなに嘘っぽくても信じたくなってしまう不思議なエネルギーを秘めていた。
でも、「コンビニに現れる夫婦=実は人形」の説ばかりはさすがに厳しいなぁと、バーコードの数々を読み取りながら冷静になった私の脳は判断し、Mさんたら...みたいな気持ちになっていた。
数時間、無口なバンドマンのFさんと2人でレジを回し、あと10分で退勤できるぞー!と意気込みながら、レジ周りの備品なんかを補充をしていたところ、自動ドアが開き、一組のお客さんが入ってきた。
あ、噂の夫婦だ。
今日もリュックが大きい。
もしかしたらあのリュックの中にも人形劇の操り人形が入っているのかもしれない。Mさんの言葉を思い出しながら、夫婦を目で追ってしまう。
値引きになったお惣菜や、新作のお菓子を選び、
夫婦は私のレジにやってきた。
「ありがとうございます。」
と、カゴを受け取り、ピッ、ピッとバーコードを読み取りながら袋詰めをする。その横眼でこっそり観察。
確かに、不思議な雰囲気の二人だなとは思ったが、それは大きすぎるリュックと、その時代には珍しいフィンガー5のアキラのようなトンボメガネをお揃いでつけているからなのではないかという分析に落ち着いた。
まぁ、東京だし、トンボメガネもおしゃれってことに違いない。うんうん。
袋詰めが終わり、金額を告げる。
「840円です」
まっすぐ視線を上げると、
「口元を見てみて」
というⅯさんの言葉が思い出された。あ、そうそう、口元。
・・・・すると、しっかりとあったのだ。2人に。
くっきりとしたマリオネットラインが。
「はい」
と、奥さんが1000円札を差し出し、旦那さんが荷物を持つ。
「160円のお釣りです」と、お釣りを渡すと、奥さんは、
『アリガトウ』と言いながら、軽く会釈をしてその場を立ち去った。
え・・・?
目を疑ったが、
『アリガトウ』
とうう口元と、そこから発せられるはずの5文字が、0コンマ3秒、ズレが生まれていたのを私は見逃さなかった。
Mさん。前言撤回します。
あの人たち、たしかに人形かもしれない。
22時を告げる時報が店内放送から聞こえ、Fさん(バンドマン)に
「帰ります・・・お疲れ様です。」
と告げる。デフォルトでテンション低めのFさんが、珍しく「うっす!」と元気に見送ってくれたけど、それどころじゃなかった。ごめんね。Fさん。
頭の中は夫婦のマリオネットラインでいっぱいだった。
制服のエプロンをロッカーにつっこみ、全速力で自転車を漕ぐ。
怖い。東京は怖い。いろんな人がいる。今日は早くご飯を食べて寝よう。冷凍のうどんを食べよう。生卵もつけよう。
コーポに到着。
自転車を降りて、トボトボと駐輪場に向かう。
あれ、私の部屋の下の階に人がいるぞ。
あの、俳優志望の人だ!!!!
しかも、一人じゃない!友達もいっしょだ!!!
駐輪場と居住エリアは少し離れているので、暗闇にそっと姿を隠し、よーく目を凝らす。私が密かに応援し続けた彼らはどのような若者たちなのだろう。
あれ?
あのリュックは・・・・。
1階の部屋の玄関の電気が点く。
そまぎれもなく、そこにいたのは、先ほどの夫婦だったのだ。
夫婦の部屋の扉が閉まるのを確認し、なぜか抜き足差し足で2階の自分の部屋に向かった。
数か月間、密かに応援し続けていた『俳優志望の若者たち』の正体が、まさかあの中年夫婦と操り人形だったとは、誰が想像しただろうか。
人間の数としては2だけど、確かに、日頃、1階から聞こえてくる声は、3の時もあったし、4の時もあった。となるとあの声の主は、まぎれもなく「操り人形たち」が発していたということだろう。おそらく、いつもリュックで一緒にでかけているあの子たちだ。
レジで見逃さなかった『アリガトウ』という口元と、そこから発せられるはずの5文字が、0コンマ3秒程度ずれていたのも合点がいった。
リュックの中の操り人形が、奥さんを操っていたに違いない。

それからコンビニで彼らに対峙する際は、リュックの中の人形がもはや夫婦の本体なのだという説のもと接客を行い、コーポでは、極力彼らと遭遇しないように努めた。その結果、コーポに住んだ4年間、一度も挨拶を交わすことがなく、引っ越しをしてしまった。それほどなぜか、彼らの存在はひそかに私を恐怖させたのだった。蟻とは共存できたのに。
そして、15年ほど経った今、失われし肌のハリがもたらしたマリオネットラインと闘っている。いつか、操り人形になってしまうという恐怖を消し去るように、口周りの筋肉の強化をしなければ。
蟻とマリオネットライン。
振り返れば振り返るほど、どちらも大した話ではないし、あの頃はお金がなくて栄養失調で倒れることもしばしばで、そっちの方がずっと大変だったはずなんだけど、それでも不思議と細かい自分の感情の機微まで思い出せるのって、こういうしょうもないことだったりする。
慣れぬ土地で一人で生活するということは、些細なことへの恐怖や、強い思い入れを引き出してしまいがちなのかもしれない。それってなかなかに厄介だけど、結構ドラマチックでもあったなと。
これから一人暮らしをするみなさんにも、そんなドラマを楽しんでほしいなと思いながら、プーアル茶を飲んでいます。
春が来るね。
※フィンガー5のアキラのようなトンボメガネ↑