I was born
藝大美術館のコミテコルベールアワード2022展をみてきました.「不完全な美」がテーマというところに惹かれていたのです.
そのなかで,高野真子さんのI was bornという映像作品がとてもよかったです.おそらくご自身が子宮内膜症にかかられて,その体験をもとにした作品だと思います.豊かな映像と,音楽,私たちにそっと語りかけるような言葉によって,作品世界に入り込んでしまったようです.
I was born.やはり受け身形なのだ.という言葉がありました.産むということは,新たな命を強制的にこの世界に登場させること.その意味において,私たちは生まれさせられた,といえるかもしれません.
しかし,最後,エンディングの手前,”うまれる,うまれない,うまれる,うまれない,うまれる,うまれない…”と指先を数えてどちらか決めるおまじないのようなナレーションで終わっていました.それは,赤ちゃん自身がうまれる,うまれない,か決めるような,赤ちゃんにゆだねているような,そのよな感じがしました.そこが,とても好きでした.
My mother bore me.と,I was born.という違いなのだと思います.My mother bore meは,私に主体性はない.しかし,I was bornだと,完全に私がうまれるという意志でもって生まれてきたわけではまったくなく,両親の行為によって強制的に登場させられたわけだけど,その後,産まれてきたのはあくまで私の行為/所作なのだと思います.受精後約3週間で,私たちは原腸形成gastrulationというもっとも複雑な形成過程を迎えると大学で勉強しました.この過程は,私たちが産まれてきてから経験するどんな困難よりも難しい.実際に,私たちがこうして生きているということは奇跡的な過程をもって得られたわけで,そこには新たな生命の芽吹きを感じずにはいられません.
生命の芽吹きに対して,私たちはおめでとうと言いたい.私たちのエゴによってこの世界に強制的に登場させたのだけど,その後生き抜くのはあなたたちで,私たちにはサポートしかできない.子は親のものなんていう考え方は圧倒的に間違っていると思います.せめて,いいこといっぱいあるよって言いたいのです.
自分は,この作者の方のように,生に対して濃密さをもって真剣に生きているだろうか.と問うと,全然だめだな,と思います.だけど,このように,なんだか,がんばろう,と思わせてくれる作品に出合えて幸せだと思います.
順当にいけば,生命の誕生にかかわる仕事に就きたいと思います.新たな生命に対して,おめでとう,これからいいこといっぱいあるよ,って心から言えるように,研鑽してゆきたいと思います.
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