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親に愛されなかったあなたへ

7歳で希死念慮があった筋金入り鬱体質のKinnyです。

私はシングルマザーの家に生まれた、3人兄弟の長女です。もうこのポジションを聞いただけで、ヤングケアラー&アダルトチルドレンは、決まりって感じです。

今日は、鬱の治療において、
 短期鬱=原因のはっきりしているもの
 中期鬱=投薬で比較的容易に回復するもの
 長期鬱=アダルトチルドレン由来

のうち、アダルトチルドレン由来の長期鬱の回復の話です。

回復に必要となるカウンセリング治療で起きる、療養中の抑うつ状態について、良い解説がある書籍を知りました。

アリス・ミラーの『才能のある子のドラマ』です。

この本は、アダルトチルドレン関連の超クラシックかもしれません。ACに限らず、完璧な親はいないので、だれしも心に傷を抱えて大人になりますが、その傷を傷だと受け入れることが、特に私のように明らかに困難な家庭の生まれだとまず第一歩に難しかったです。さっさと子供時代を捨て前に進みたかった。

親の不在、貧困、ネグレクト、暴力、飲酒、宗教、ギャンブル問題、など、明らかな正常ではない状態があった場合は、成長した本人も自覚があり、強い抑圧で、子供時代を振り返ること自体に、心理的抵抗を示している場合が多いように思います。

ちなみに、私のような明らかな特殊家庭ではなくても、親の過干渉などでも、人は同じような心の傷を抱えますが、私は力強く跳ね返したタイプなので、その力強さが、同時に、抑圧にも向かい、自分の身に起きた悲劇を実感することに抵抗があり、そのために落とし穴がありました…。

それは、父親の不在を悲しみ、悼み、喪に伏すということでした。

実は物心ついたころには、父親はすでにいなかったので盲点でした。

生きている人を喪に伏すということはないですし、覚えている記憶も暴力だけだったので、いなくてせいせいした、という事実が勝り、父を恋しがるとか、愛情を求めて泣く、とか、そういう”一般的な父親を求める子供の愛情希求”についてのケアがお留守になっていたのです。というのは、私の”個別の父”が、とても愛を求めたくなるような人ではなかったからです。

私のように、父親不在の家で育ち、父が子供時代にいなかったことについて、喪に伏していない人はかなり多いのではないかと思います。母子家庭ACの人は、要注意です。

さて本題に入ります。以下は、同著書からの引用です。

■ アリス・ミラー『才能のある子のドラマ』より 抜粋要約

療法中の抑うつ状態について

一時的な抑うつ状態は、出てこようとしている感情と、かつての状況を体験し、それがどんなものであったかをはっきりさせれば、抑うつ状態は解消する。

1)信号発信機能のフェーズ

患者さんが診察室で泣きながら訴えるということが起こる。ここでは解決は重要ではなく、患者自身が自分でその感情を感じ、それによって抑圧していた記憶に、近づけたということが大事。
抑うつとは、感情が近くにあるにも関わらず、同時に感じてよいものだ、とは認められないことで発生します。
何らかのきっかけで、感情が意識の表面まで噴き出すことができ、そのおかげで抑うつ的な気分が解消されるのです。

2)自分が踏みにじられても気が付かないフェーズ

子どもだった頃、遊びに夢中になり、自分で何かやれるぞ!と思っていると、呼びつけられ、何か「もっとまともなこと」をするように言われることは、生まれようとしていた子供の世界を踏みにじられてしまったということです。

このような傷を抱える人は、無意識の裡に、自分の内面のごく近くまで近づき、理解され、ほっとしたと感じるといつでも、そのとたんに、その時まったくどうでも良いことを計画し、そこで再び、自分はひとりぼっちで、うまくやれないという感情に落ち込んでしまう人がいます。

そして、何日かすると、自己疎外、空虚感に悩まされ、自分が再び自分自身に近づく道を失ってしまったと感じるのですが、この時点での無意識の裡に、かつて子供のころ、の行動をとってしまっているのです。

子どもとして、当然の感情は、”怒り”だったはずですが、子供時代の自動反応の結果として、怒りを感じられない人が多いのです。

大人になった後で、今現在の自分に対して行われる、同じような厚かましい要求に気づき、それと対決することができれば、そこで目覚めた感情のおかげで、自分を抑えつづけてきた力に逆らって、ひっくり返すことができ、抑圧されてきた欲求(自分自身であること)が、はっきり姿を現します。

そうなれば、今や、自分に本当は何が必要か?が分かり、不必要な行動で気晴らしすることはないでしょう。

3)情動を抱え込むフェーズ

「私はもう、自分がわからない。どうやれば、また自分が取り戻せるのだろう?自分の内面と全然結びつきがなくなってしまった。もうだめだ。意味のあることなんて全然ない。私の活力はどこへ行ってしまったのだろう」

抑うつ状態は、時として何週間も続き、なかなか

 子供時代の強烈な情動の噴出が見られない

場合があります。いったん、情動を経験すると、また元気になり、次の抑うつ状態が新たに始まるまで、それが続きます。

この状態に続いて、”怒り”の噴出が起こることも少なくなく、その場合には、”激しい非難と告発”が伴います。その告発が正当なものであれば、患者さんの状態は軽快します。

一方、不当な場合…つまり、本来責任のない人に向けられている場合は、抑うつ状態が解消されることはなく、問題の所在が明らかにされうるようになるまで、そのままでしょう。

4)両親にあたえらえた偽りの自己との対決についての抑うつ

「一昨日、私は幸福だった。物事は驚くほどはかどり、その時はこんなにはかどるのだからもう一山片付けておこうと思った。しかし、次の日になるとまるっきりダメだった。それで自分を振り返ってみると、もっとやろうとして自分で気分をダメにしてしまったのだった。でも、どうして?その時、母が言っていたことを思い出した。『まぁよくできたこと。だったら、これもきっとできるわね』。」

それまで心の奥底深く抑圧し続け、意識することもないようにしていた両親の自分に対する要求、たとえば、成功しなければならないという要求などに反抗するようにはなったけれども、まだ本当に解放されたわけではないとき、抑うつが現れることがあります。

そうなると患者さんは、再び自分で仕掛けた意味のない、徒労の袋小路に入り、抑うつが始まってようやく、自分の陥っている状況に気が付くのです。

自分で自分に無理強いしたということに気が付けば、抑うつ症状は消えます。

5)心身症のフェーズ

抑うつは身体症状としても現れます。もしくは、身体症状の陰に抑うつが隠れていることがあります。

特に幼少期の自己否認が、身体症状の原因であったとしても、それを思い出すこと自体が難しく、現実離れした幸福な子供時代のイメージで隠されてしまっています。

かなり長期にわたる、抑うつ症状は、子供時代の濃密で強力な感情を実際に経験することで、解消されることがあります。

以前通りの型…失望ー痛みの抑圧ー抑うつ…を繰り返すのではなく、何かうまくいかなくても、その痛みを生き、体験することによってはじめて、自分の子供時代のさまざまな経験、隠されていた自己に近づけるようになるのです。

「私にあらたな視点をもたらしてくれたのは、美しく気持ちのよい感情ではなく、私が一番嫌って、近づけまいとしていた感情であった。つまり、自分が汚らしく、ちっぽけで、意地悪で、無力、恥をかかされ、文句たらたらで、しつこく、どうしようもない人間であるかのように感じられた、その感情である。そういうとき、私は何より悲しく、寂しかった。ところがおりによって、長い間避け続けたそのような感情を引き起こす体験によって、私は、自分の生の中で何か自分を内側から理解したという確信を得た。その何かは、どのような本を読んでも手にいれらなかったであろうものだった」。

6)偽りの愛を求めなくなるフェーズ

結局のところ、自分は「愛」と称されるもののために、自分の子供時代を犠牲にしてしまったのだと気が付いたとき、その人の内部に恐ろしい衝撃を与えるでしょう。

けれども、この人は、同時にいつの日か「愛なるもの」を求めてあくせくするのは辞めようと思うようになるかもしれません。この人は自分の内部に、真の自分を生きたい、もはや愛を獲得せずとも良いという思いをみいだすことになるでしょう。

その「愛」は、その人が棄てはじめた偽りの自己にかかわるもので、結局のところ、その人には何の役にも立たないものなのです。

「世界は変わったわけではない。私の周囲には、ひどいこと、いやなことがたくさんあって、私には以前よりももっとはっきりそれが分かる。でも、それなのに、生まれて初めて、私はこの人生を本当に生きる価値があると思える。たぶん、それは、生まれて初めて、私は自分の本当の人生を生きていると思えているからでしょう。生きるというのは、本当に目を見張るような冒険だわ。でも、今、私は、自分が自殺しようと思っていた、とりわけ若いころそう思っていたのはなぜなのか、以前よりよく分かる。生き続けても何の価値もないとしか思えなかったの。本当は、自分がなぜか、自分のものじゃない人生を生きていて、そんな生き方は全然したくなかったから、そんな人生なんかいつでも放り出せたからだった」。

以上が、『才能のある子のドラマ』より引用抜粋です。

どなたかのご参考になれば幸いです。


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