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急性の鬱…自殺を考える人へ
急性の鬱の人へ 自殺を考える前に…
実は私も希死念慮が起きることがしばらく前にあり、分子栄養学で救われたのですが、栄養ということに思い至らない方が、仮に、自助会などに行くと、”ああ、ここでも救われない”と結論して、衝動をむしろ後押ししてしまうリスクがあるということが分かりました。
そのため、急場をしのぐ、鬱病の人のための対処法をまとめておこうと思います。
1)今すぐ死にたい → 迷わず、いのちの電話
2)希死念慮が起きて悩んでいる、生きる意味が感じられない、切迫感のある鬱 → 今すぐ分子栄養学をやっている精神科にかかりましょう
3)ハッキリと原因が分かる精神症状(例:死別)→ グリーフケア
4)慢性症状 (例:アダルトチルドレン) → じっくり腰を据えてインナーチャイルド癒し
1)の今すぐ死にたいときに、
いのちの電話
ではなく、自助会や精神科にいきなりかかってしまうと?
A)自助会の場合、
自助会というのは、あくまで体験を話すだけの場で、吐き出してスッキリするのが目的です。
吐きだせる人 = 自己中心性がその場で一番高い人
一般社会でも、場で一番良くしゃべっている人は、”大人”というより、”子供”的な人ですよね? 同じことがおきますから、一番弱っている今にも死にそうな人が必ずしも、吐き出させてもらえるとは限りません。主催者次第です。
また、陥りがちなのが、
・不幸自慢
・マウンティング
です。
不幸自慢というのは、参加者が、どちらがより不幸かを披露しあう場になってしまう心の働きです。Aさんは父親から平手打ちを受けたことが心の傷、Bさんはネグレクトと虐待を受けていた、Cさんはレイプされた。Cさんが一番、という心の動きをどうしてもしてしまうこともあります。
しかし、真実は、当人が出来事をどう解釈するか?にあるわけですから、不幸の量、ショックの大きさは、幼いころの平手打ちが心の傷になっている人の傷が、レイプを受けた人の心の傷より、小さいということはないのです。
マウンティングというのは、巧妙。Aさんが、肉親の喪失に苦しんでいるとしましょう。家族に残されて孤独で悩んでいる場合に、Bさん、Cさんには家族がいる。Aさん:「あなたたちは家族がいていいわね」BさんCさん:「家族がいても人は孤独で同じですよ」Aさん:「いや、夫がいるあなたたちには私の気持ちは分からないわ。でも、父は生涯困らないだけの財産を残してくれたのよ」
Aさんは、”酸っぱいブドウ”という心理現象になってしまって、くやしまぎれにマウンティングすることになってしまいました。
このように、自助会=参加者は全員素人さんということなので、心をコントロールできず、不幸自慢大会に陥ったり、マウンティングが発生してしまうと、スッキリする人は誰もいなくなってしまいます。
むしろ、「ここへきても理解されない…、私はやっぱり孤独だ」と結論してしまって、自死を遂行するスイッチが入ってしまうリスクさえ、出てきてしまいます。
ということで、自助会には自助会のリスクがあります。しかし、溺れる者は藁をもつかむの場合には、どんな場であれ、助けを求めることが起こりえます。
自助会などを主宰する人には、最低限の知識が求められ、必要があれば、いのちの電話などにつなげるプロトコル(手順)が確立している必要があるだろうと思いました。
傾聴ができるなら、誰でもできる、というわけではない、ということです。
鬱の人をどう回復への道筋に持っていくか?
自助会の存在意義について、
は別紙に改めます。
急性の希死念慮等で苦しまれている方は、
命の電話
から、専門医につないでもらいましょう。