自己受容と自己実現〜"A子さんの恋人"最終巻感想〜
特にモテ要素のないつるんとした容姿・性格の主人公が恋愛無双する話といえば、ママレードボーイをはじめ恋愛漫画の王道。A子さんの恋人も例に漏れず、"7年付き合った恋人と別れもせずNYに行き、現地で新恋人が出来てもまたその恋人とも別れられず帰国"という、モテなすぎて辛酸を舐めまくった私からすると何十回転生しても無理そうな出だしの漫画です。
私も曲がりなりに美大卒ですので、はじめは"ケ!イケてる人達のイケてる話かね!"とハスに構えて読んでしまっていたのですが、独特の間、台詞づかい、空気まで伝わるような背景、コントラストに完膚なきまでやられ虜になってしまいました。
美大卒業後、漫画家、デザイン業務で邁進する人もいれば、教職になる人、私のようにルサンチマンを抱えたまま別業種に就く人などさまざまな人が出てきて、めちゃくちゃリアルでした。みんながみんなハチクロみたいに成功できないんだよね…!(ハチクロはハチクロで素晴らしいんだけどそれはまたの機会に)
A子さんは仕事(漫画家)にも私生活にも執着がありません。七年付き合った恋人A太郎に「君は僕をそんなに好きじゃないから好き」なんて言われてしまう始末…。彼女はすべてにフラットな態度に見えるけど、それって結局自分がないから選ぶ軸がないのです。選択するということは、それ以外を捨てること。自分がわからないA子さんは、選べない代わりに、捨てることもできないのです。それは、A太郎、Aという恋人だけでなく、NYに置いてきた本、A太郎から預かったコート、金魚…。
A子さんもそれは分かっていて、決別のため物語の終盤から怒涛の選択をはじめます。きっかけは、デビュー作の"少女の部屋"。しっくりこなかったこの作品と向き合いながら、"本当の自分は何なのか""本当に自分が欲しいものは何なのか"の自問自答が始まります。
"君は僕をそんなに好きじゃないから好き"、これはA子、A太郎の鏡合わせの存在をよく表していて、突き詰めると"私は私をそんなに好きじゃない"なのかなあと。期待しないさらりとした身軽な暮らしもいいけれど、自分という存在を受け入れ、執着など己の醜さと向き合わないと、どうしたって他者との関係に歪みが生まれます。
結局、自分のことは1番分かっている自分が愛してあげるほかないのです。どんなに社会的に認められたり、他の人が羨む活動(=マズローの言うところの自己実現)ができたとしても、自分をまず自分が受け止めてあげる、自己受容するベースがないと、人からいくら愛情や好意(恋愛だけでなく人間関係すべて)を受けても、穴の開いたバケツみたいに空虚に消えてしまいます。
デビュー作を描き切れたA子さんは、同じく空虚から脱出できたA太郎に背中を押されて、本当に自分を愛してくれる人のもとへ向かいます。自分を受け入れることができたみんなは、瑛子、永太郎、Alexと名前を取り戻せたのでした。
自己受容、とはここ数年アメリカのトレンドでもある"マインドフルネス"の延長にあり、"ありのままの自分を愛する"という考えですね。よく自己肯定と混同されることが多いですが、自己肯定が自身のポジティブな面にスポットライトを当てて自信を保つ一方、自己受容はネガティブな面も含めまるごと「これも私」と受け入れることと私は理解しています。
自己受容ソングとして第一想起するのは2019年のアリアナグランデ大ヒット曲"thank U,next"。前半は自身の元カレとのエピソードを軽快に歌ったと思いきや、後半は「今の最高な自分を自分たらしめるものはAri(=アリアナ・グランデ自身)」と、前半との対比でとても深い歌詞になっております。A子さんの恋人を読んで、なんとなくこの曲を思い出してしまいました。
まずは見失わない確固たる自分を愛すること。卑下することもなく、過剰に盛ることもなく、素直な自分をいいじゃん!と思えるところから、周囲と関係を築く礎ができるんだなあ、とA子さんの恋人を読んで思いました。おしゃれな人間のおしゃれなさらり恋愛ものと思っていたら、実はすごく深い自問自答が続く2020年ピカイチの漫画でした。
きん
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