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労働の対価
労働して、対価をもらって、その対価で商品を買う。
サラリーマンでも、作家でも、おむすびやさんでもその流れは大体変わらない。お金は便利だ。等価交換が叶えば、ほとんどなんでも手にいれることができる。
今年度は、おむすびやを始めたり夫の病が再発したりと忙しくて薪を用意していなかったのだけど、電気代の高騰でこりゃ無理だとほんの少し残っていた薪を燃やすことにした。
薪を燃やし始めると、やっぱり暖まるのが早いし何よりも楽しいので、休みの間だけでも裏山の掃除がてら薪を拾いにいくことにした。労働さえすれば薪は無料で手に入る環境だ。ノコギリで細い枯れ枝くらいなら切ってしまう。足元の掃除をしながら薪を拾ってはバケツで家まで下ろす。背負子がほしいなーとか思いながら夢中でやっていると薪置き場がすぐに埋まる。
我が家の庭は夫が用意してくれたWi-Fiがくまなくとんでいるので、疲れてきたら音楽や朗読を楽しんだりして気持ちを切り替えることも出来る。
細い枝ばかりだからあっという間に燃え尽きてしまうけど、調達するのも簡単だからトントン。大きな薪は長く燃えるけど割るのも一苦労で、ついついケチってしまうし。
谷間の我が家は二時を回るとあっという間に薄暗くなって冷えてくるので、集めた薪をさっそくくべることになる。
育てた野菜を食べるというのもそうだけれど、労働がそのまま糧になると言うのは本当に面白くて、物事の本質というものを考えてしまう前に体がほどけて心がほっとするのがわかってしまう。それは、私も自然の一部で、体が動く範囲で生きていけばよいのだ、という小さな自信に繋がっていく気がする。
今日も各々出来る範囲で労働をした。
力仕事と細かい薪拾いは私が。療養中の夫は、私が使えないチェーンソーで丸太を細かくしてくれた。母は庭掃除をして、犬はパトロール。小さな群れは、のんびりと助け合って日々を紡ぐ。群れの中なら、金貨は不要だ。
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