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安藤満プロとの思い出(文・金本晃)

「今回のプロ連ニュースです」

手書きの原稿用紙を毎回竹書房まで持ってきてくれてていたのが安藤さんとの思い出だ。

当時の僕は会社に入って一年目。
原稿を受け取り、パソコンに打ち込んで、歩いて1分の写植屋にフロッピーディスクを持っていき近代麻雀の1ページ記事にするのが仕事だった。

安藤さんは入社一年目の僕にもすごく丁寧な言葉遣いだった。

「沢崎が残りました」

「阿部が連覇しました」

「多井が勝ちました」

原稿用紙を渡すときに毎回一言、記事の情報をくれる。だが僕は選手名を誰も知らない。鳳凰戦とは何か、十段戦はどういうタイトルなのかも知らずにただ原稿を受け取る。

「はあ。そうなんですね」

そう答えるだけ。

それでも、安藤さんは僕に

「この記事どうしたら面白くなるかな」

と聞いてくる。

「選手名をたくさん出すより、プロのすごい一打が見たいので、ここから何を切ったか、みたいな麻雀牌を載せて欲しいです」
麻雀牌フォントさえあれば食いつくように見る僕の好みを伝えた。

次の回にはちゃんと沢崎さんの不思議な一打が書かれていた。


当たり前のように過ごしていた。

それが貴重な体験で、自分が生意気だったと知るのはだいぶ後だ。
少しして安藤さんはガンで入院、原稿用紙を持ってきてくれるのが藤原さんに変わり、やがてメールで受け取るようになり、いつの間にかそのページも無くなった。
そういえばその記事が始まるときに、安藤さんが宇佐美さん(当時の編集長)のところに来て何か二人でしゃべった後、僕が担当するように言われたんだった。平たく言えば安藤さんありきの記事だったんだろう。

最強位の多井さんが安藤さんとの思い出を語ってくれた。最強戦で優勝した時まっさきに名前を出したのはなぜか。


安藤さんは2004年に亡くなった。
亡くなるとき僕のことは覚えてはいなかっただろう。

でも多井さんが最強戦で優勝したとき、もしかしたら天国でそれを喜んで見てくれていたなら嬉しい。当時原稿を受け取っていたガキが今最強戦で偉そうなこと言ってます。

次の近代麻雀から安藤さんが主人公の漫画が始まる。当時のプロ業界はどんな感じだったのか史実に忠実に物語は進んでいく。

安藤さん、どうぞ見守ってください。

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