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阿部智里の八咫烏シリーズに触れて9<『望月の烏』まで読了>
新刊が出る! 『亡霊の烏』
そろそろ、このブログを更新しようかなと思っていたら、新刊のお知らせが飛び込んできた。
春ぐらいだろうなと思ってはいたが、実際に告知されるとやはり、おぉーとテンションが上がる。
それもいよいよ物語の終息に向かう一冊になるらしい。
3月26日に出て、その次が最終巻となるらしい(プラス外伝が1冊)。待ち遠しいやら後2冊しかないのかと思うと寂しいやら…
タイトルは『亡霊の烏』。
何ともうまいタイトルだ。あらゆる角度から考察可能なタイトル。
Xでも誰が亡霊か? とかなりの盛り上がっている
私も
![](https://assets.st-note.com/img/1737660405-og8qyn9XDrcRtidm0BAO7ZvL.png?width=1200)
とpostしてみた。
去年の『望月の烏』が発行されるタイミングではまったくこのシリーズのことを知らなかったためお祭りに参加できなかった。
でも今年は、嬉しい! 参加できている! 楽しい。
路近は面白い
烏は主を選ばないで、幼い雪哉が路近にあなたは長束さまにいいように利用されていたんですよ!とちくった時、
路近はにやりと笑いながら「私に利用価値があるのなら、喜ばしい」それこそ本望というものよと、と余裕で返した。
路近の忠誠はギブアンドテイクではないから、長束が路近のことを認めようが怖がっていようがそこに路近は照準を合わせていない。
あくまでも自分ファーストだ。彼は忠誠したいから忠誠する、極めてシンプルな形だ。そのくせ、長束のために、命令されれば理由を問わず刺客にもなるし、己の命を平気で捧げる覚悟は持っている。利用できるなら思う存分利用せよと本気で思っている。
もし目的があるとしたら、答えが読めない長束の行動を好奇心をもって観察していたいことぐらい。
奈月彦が雪哉を見ていなくてもいいのでは?
私はこの路近の考え方を面白いと思っている。答えをロジカルに解明せずにはいられない路近らしい忠誠のありかただ。
私には雪哉にもこのぐらいの鳥瞰図的思考で奈月彦を見ていて欲しいという願望がある。
だから奈月彦が雪哉を利用しただけではないか、雪哉を見てはいなかったのではないか、という意見には少し距離を持つ立場でいようと思う。
奈月彦が雪哉が見ていようが見ていなかろうが、どっちでもいいのでは。
雪哉は奈月彦に忠誠を誓った。それだけを受け止めればいいのではと思ってしまう。
仮に本当に奈月彦が雪哉を単なる駒として利用したとしても、雪哉にはそれもよし、と腹をくくっていて欲しい。
奈月彦は綻びを繕うことで山内の存続を維持しようとした。
奈月彦亡き後は雪哉ができる方法で山内を守っていく。
方法論が違うだけでこの二人の山内を守るという目標にぶれはない。
ただ、雪哉の忠誠の本意に関わらず、政に100%の正義などあるはずもなく、どんな政策もいずれその溜まった澱がうねりとなり時代の波として襲いかかってくるのは世の常だ。
新刊では雪斎にもその波が襲ってくるのだろう。
そのきっかけが「亡霊」なのか。
雪斎は抗うのか、受け入れるのか、諦めるのか。
気持ちはざわつく
過去noteで新刊が待ちどおしい、わくわくすると書いてきたが、ここにきて気持ちはそれほど単純にはならないことに気付かされる。
ウルトラCがあると望んでいたのに作者コラムでは、終息に向かい因果があるべき形に応報する、びっくりどっきりの面白みがない、というようなことが書いてあった。
これは本当のエクスキューズなのか、これも含めて読者に罠を仕掛けているのか…私も迷う。
エクスキューズなら、雪斎は自らの進退にある種の決着を強いられるのかもしれない。
嫌だなぁ。
雪哉推しだから雪斎にも救済を与えて欲しい。
ただ、雪斎が同情や温情を望んでいるとも思えない。
自分が責任を取らされるその瞬間さえも想定済みでいるのなら、彼は静かにその結果を受け入れるんだろうと思う。
まだ期待している!
いやいや、今からそんな悲観してなるものか。
まだ2冊ある。
ジェットコースター展開を得意とする作者のこと、この春発刊本は嵐の前の静けさで終始し、来年以降に出る最終巻できっと離れ業を見せてくれると信じたい。