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あけましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。
今年も書き初めをいたしまして、「超」という字を書きました。

この「超」というのは超人の「超」。ドイツの哲学者ニーチェの言うルサンチマンに囚われた人間の進化です。「ルサンチマン」てなーに? となると、この説明がなんともムツかしい。これ、長くなるので点線より下は理解したい人だけ読んでください。
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そもそも「ルサンチマン」ってのは、ニーチェが「道徳の系譜」にて提唱した、弱者が強者に抱く「恨み」、「妬み」、「嫉妬心」等、のこと。貧しさにあえぐユダヤ人は、富や権力を持つローマ人や王族の支配に苦しみ憎んでいました。どんなに憎んだって、無力な彼らは現実では強者には勝てません。ならば神を創り出し、貧しさに苦しむ弱者こそが私たちを救うのだと、せめて妄想の中だけでも強弱を反転させ、心理的な復讐を果たすのだという思想であり、キリスト教の根源といっても過言ではありません。

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というのがありまして、昨年の終わりは転職活動に追われておりました。ぼくなんて根は傲慢極まりない人間ですから、こんな多才な人間を雇用したいと思うに決まっていると言わんばかりに、なんの対策もせず挑みました。結果は書類選考はほとんど通らず、運良く面接に進んだとてこれでもかと言うくらいに打ちのめされた訳です。
20後半の男がまさか半べそかきながら電車に乗って帰った日のこと、ぼくは生涯忘れることはないと思います。

特別勉強の成績が良い訳ではなく、かと言って運動ができた訳でもないし、何か特別な個性があった訳でもないので、個性に悩み非行に走りかけたり、すごく奇抜な格好をしはじめた頃に父親に言われた言葉があります。

「お前のそれは個性じゃない。明日誰かが真似できるようなことは個性でもなんでもない。」と。

それからというもの、周りがゲームや流行りの娯楽にうつつを抜かしている間に、優等生が勉学に励む間に、ぼくは、文学、音楽、芸術、思想、哲学、兎にかく沢山のカルチャーに触れ、多才な人間になってやろうとした訳です。お陰様で一応、明日ぼくが死んでも代わりがいないくらいの人間にはなれたとは思っています。

ただね、転職や社会ってのはまさに強弱の関係です。こんな人間性の面白さなんてなんの役にも立ちません。悲しいですが仕事ができるかできないか、それだけ。異業種に飛び込んだならもう前職の実績なんてただの戯言みたいなものです。
結果ぼくは、自分の至らなさ、欠点を直視することから逃げ、なんで理解してくれないんだと、このぼくを認めてくれない社会が間違っていると考えはじめ、それどころこの憤りがルサンチマンを生み出した訳です。

いやあ、この思考から抜け出すのには時間がかかりました。自分の価値を己で想像するというのは容易いことではないですが、超人の後ろ姿ぐらいは見えたような気がします。うん。

「超人」ってのもきっと、強者には勝てぬともがき苦しむぼくらが何か理解したように錯覚してしまうルサンチマンなのだと、ぼくは思います。

ならば「神は死んだ!」今年は存分に錯覚してやろうじゃないか!「今日のぼくの働きは只者じゃないぞ。ぼくは天才か?」なんて自己肯定感上げちゃうんだ。楽しいとかっこいいを目指すんだ!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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