世界標準をするのか、一歩抜け出すのか
様々な技術進化や、エンタメのグローバル化が進んでいることは、皆さんご存知だと思います。
世界標準のスマートフォンを使い、YouTubeを見て、検索エンジンを使い、SNSは国外製を普通に使っていると思います。
便利ですし、連絡も楽、なにかあれば調べればよい という状況はもうすでに脱することはできない状況だと思います。
便利でよいことですし、効率もあがりますが、果たしてそれでよいでしょうか?
これらが究極にすすむと、特に他人と違わないことが増えて、人類の標準化が始まります。
便利な反面、他人と同じという面がふえるのではないでしょうか。
必ずしも同じ人間になることはないですが、なるべく個性を出して、他人とは違う自分を創りたいですね。
それにはどうするか、人が「それは無理だ」ということや、趣味や自分の好きなことに没頭する時間を作ってはどうでしょうか。
あ、このひと頭良くて面白いな という人は、想像を超える活動領域や考え方、色々な経験をされていることが多いです。
普通このタイミングでこんなことしないよね ということをよく聞きます。
世界標準を生み出すことは決してわるいことではないですが、
標準から一歩抜け出ることにチャレンジしてるのはいかがでしょうか。
新たな自分に出会えるかもしれませんね。
世界標準をするのか、一歩抜け出すのか というお話でした。
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