西条陽先生『わたし、二番目の彼女でいいから。』読書感想文
会社をクビになりました。
それから半年たちました。
その間、何をしていたのかと申しますと、何かやろうとして何もできませんでした。
とにかく手っ取り早く有名になってお金持ちになりたかったので、まずはイラストレーターを目指しました。
これでも小学生のころはクラスで一番、絵がうまかったんですよ。
ネットの情報を信じてタブレットとスタイラスを買ってみたものの、うまくいきません。
頭の中にある完璧な絵を、なぜか表現できないのです。
おそらくタブレットとスタイラスがよくないのでしょう。
次に、小説家になろうと決めました。
中学生のころ、好きな作品の二次創作を投稿サイトにアップして、それなりの数の読者に好評だった実績があります。
世界が求める私のオリジナル作品を執筆するため、原稿用紙とえんぴつを用意したところまではよかったのに、どういうわけか一文字も書けません。
どうやって書き出せばいいのか、そもそも物語が思い浮かばない。
その原因は間違いなく、ちゃぶ台がないせいでしょう。
えんぴつ、原稿用紙、ちゃぶ台、この三種の神器がなければ人は文豪たりえないのです。
だからYouTuberになることを決意しました。
イラストも小説も時代遅れ。これからはYouTuberです。
タブレットもスタイラスもちゃぶ台もいらない。スマホ一台あれば一瞬で世界の人気者で億万長者になれるのです。
とりあえず髪を染めてメガネをかけて奇声を発していれば自動的に有名になれるシステムのようなので、やってみたところ、再生数は一向に伸びないくせに、グッドボタンじゃないほうのボタンは、近くに高橋名人でもいるのかという勢いで連射される日々。
アンチは人気のバロメーターというのであれば、私はそこそこの人気者ということになります。
とはいえ人気者になればYouTubeから送られてくるという銀の盾も金の盾もやってきません。
しかたないので泥の盾を自分で作って、例の泉まで持っていって投げ捨てます。
泉の中から例の女神様が現れました。
知ってます。ここで正直に「泥の盾を落としました」といえば、銀の盾と金の盾がもらえると本で読みました。
私が正直に告白するのを待たずに、女神様は「ここはゴミ捨て場じゃねえんだよ!」とロケットランチャーを発射してきました。
話と違うじゃないですか。
こうして時間だけが経ち、貯金はどんどん減っていき、しかたないので手当たり次第に就職活動して、結婚相談所のオペレーターとして採用されました。
結婚経験のない私が人様の結婚活動に口を挟むというのは、ベジタリアンがおすすめの焼肉屋を紹介するような、どこか人をだましているような気もしたものの、誰しも好きな場所で適した職に就いているわけではないと納得させて、研修を終え、相談員としての一日目がはじまりました。
はじめてのお客さまは三十代前半の男性。
身なりも顔立ちも端正で、育ちの良さがうかがえます。
資料を拝見すると、都内で複数の事業を成功させている資産家でもありました。
わざわざこんなところにこなくとも、好きなだけ結婚できるイメージがあります。
テーブルをはさんで私の前に座る彼は、恥ずかしそうに口を開きます。
「実は、結婚したい人がいるんです」
私はいいます。
「なるほど」
彼はいいます。
「でもその人には、他に好きな人がいるんです」
私はいいます。
「なるほど」
なるほど。どれだけ容姿や経済的に恵まれていたとしても、人の心はどうしようもありません。
それは性格、見た目、預金額では解決できない問題です。
「さしさわりなければ、相手様のことをうかがってもよろしいですか?」と私はたずねます。
「喜んで!」
彼は嬉しそうに一冊の本を取り出し「この人です!」と表紙を指でさしました。
「なるほど」と私はいいます。
お客さまがどれだけイカれた提案をしてきても、笑ってはいけないし否定してもいけないと研修で教わりました。
「僕はもうこの人に夢中なんですよ!」
表紙に映る二人の少女。
手前のショートカットの少女を彼は指名しています。
名前は早坂あかねさんとおっしゃるそうです。
有名人と結婚したいという案件は少なからずあると研修で教わりました。
しかし、イラストと結婚させろというケースについては教わってません。
現実的でない案件を受けたときは、できるだけ相手と対話をつづけて、おとしどころを探れと教わりました。
ある時点で目が覚めて、あきらめてくれるケースがほとんどだそうです。
一端、持ち帰らせてくださいと伝えると、彼は高級そうな鞄から同じ文庫本をとりだし、私にプレゼントしてくださいました。
これがかの有名な布教用というやつなのでしょうか。
家に帰り、シャワーを浴び、食事を取り、今日のできごとが幻覚ではないことを確認して、テーブルの上に置かれた西条陽著作『わたし、二番目の彼女でいいから。』を拝読することに。
軽くページをめくります。うわ、イラストえっち。
物語のあらすじは、主人公の桐島くんとヒロインの早坂さんにはそれぞれ一番好きな人がいるけれど、お互いのことを二番目に好きだから隠れてこそこそ付き合っていたある日、桐島くんの一番好きな人であるもう一人のヒロイン、橘さんが桐島くんに接近して──というもの。
序盤からベッドの中で相手の口の中に自分の焼肉の部位でいうところのタンをねじ込んでみたりと、扇情的な展開がつづきます。
二番目に好きな相手にすることがこれなら、一番目の口には何を突っ込むのでしょうか。心臓でしょうか。
その後も過激さは増す一方で、まるでふしだらのR T Aです。
この物語がゲームになったあかつきには、サターン版はX指定まったなしでしょう。
肉体的のみならず、精神的にも激しい展開はつづき、終始ごほうびと鉄アレイを同時に投げつけてくるような、まるで読む忍者ハットリくんです。
ラストの衝撃展開は本編の言葉をかりるなら『酸欠になりそう』であり、外はもう朝になっていました。
「どうでした?」
開口一番に聞いてくる彼に、私は非常に面白く驚愕な物語であったと本心を伝えました。
ちなみに自分は橘さん派であることも。
橘ひかりさん
「じゃあ、橘さんはあなたにあげますよ」と彼はいいました。
いや、あなたにそんな権限ないでしょう。
「ところでどうです? 僕と早坂さんは結婚できそうですか?」
「いやあ、どうでしょう。早坂さんには桐島くんがいますしねえ」
「でも早坂さんにとって桐島くんは二番目ですし、桐島くんにとっても早坂さんは二番目ですよね? 僕は彼女のことを一番目に愛してるんですよ。どう考えても僕と一緒になったほうが幸せになれると思いませんか?」
わかりました、ではまず早坂さんを本の中から呼び出してくださいませんか将軍様、といいたくなる感情をぐっとこらえます。
「でもですね、二番目といっても中盤以降の展開を考えると──」
「中盤?」彼は首をかしげます。
なんだか、妙な違和感を覚えました。
「愚問だとは思うのですが、原作は読了されていますよね?」
という私の問いに
「いいえ。僕が読んだのはプロローグだけです」
と彼は言い切りました。
「なるほど」
プロローグ部分は本編唯一の比較的健全かつ初々しい場面であり、ダブルヒロインのうちのもう一人である橘さんは登場すらしていません。
「ひとめぼれ、だったんですよ」
遠い目で彼はいいました。
おいしいですよね、あのお米、と私は冗談ではなく真面目にそう返しそうになりました。
メイドインアビスの第一話だけ読んで、ミッドサマーでホルガ村到着のシーンだけ見て、きっとこの作品は明るくてわくわくする世界が広がっているんだろうなと疑わない無邪気さ。
その先を知るのは、早坂さんと結婚できないと理解するよりも残酷なのかもしれません。
もう一日、時間をくださいと伝えてその日の業務は完了。
帰宅後、頭から離れないのは彼のことよりも自分のこと。
作品との向きあい方について。
思えば、自分もかつては物語のキャラクターたちに恋をしていました。
それは純粋で本気の恋。
学校だろうとどこだろうと、頭の中はその人のことばかり。
苦しくて、どうにかなりそうな日々。
原作ではその人に意中の相手がいるとか、そういうのはどうでもいい。
想像の中での、絶対的な独占欲。
いつしか、そういうのは消えてしまっていました。
作品を楽しむ気持ちは今でも人一倍あります。
しかし、例えば二十年前、こっそり深夜アニメを見て、こっそりネットに侵入して、とめどなくあふれる考察という名の妄想を書き連ね、誰かの二次創作を読みあさり、一睡もしていないのに満たされた表情で登校していたあの少年はどこにいったのでしょうか?
大人になって、小説のヒロインと結婚したいという男の相談を受けているのかもしれません。
もしかして私の目の前に現れた彼は、失うことなく生きてきた、もう一人の私なのかもしれません。
私はカフェインを摂取して、資料作りをはじめます。
架空のキャラクターと結ばれるというのは、そこまで非現実的なことではないのです。
いくつかの許可をとれば式を挙げることだってできるし、原作者の粋な計らいで現実のファンと作品のキャラクターが作品内で結ばれたというケースも実在します。
資料をまとめていると、不思議な高揚感を覚えます。
うまくいえないけれど、うまくいく気がします。
翌日
「すみません、これまでのことは全部忘れてください!」
と叫び、彼は私に頭を下げます。
「どうされました?」
「早坂さんのことはあきらめます。いや、あきらめるっていう言い方はおかしいですよね。もともと彼女は僕のことなんて見てくれてなかったんだから」
「本当に、どうなさったんですか?」
まさか彼も、失ってしまったというのでしょうか。キャラクターを愛する気持ちを。
「実は──他に好きな人ができてしまったんです」
と彼は照れ笑いを浮かべます。その目は恋する男の目です。
「なるほど」
「それでもしよろしければ、その人との関係を取り持っていただきたいのですが」
「もちろんです。よろこんで承ります。それで、お相手は?」
私がたずねると、彼はうれしそうに本を出して、開きます。
私は納得しました。
「なるほど、今度は橘さ──」
「僕、桐島くんに夢中なんです!」
彼は顔を真っ赤にして宣言します。
桐島くん
とりあえず私はうなずきます。
「なるほど」
『わたし、二番目の彼女でいいから。』
恋する言葉たち
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