健康・身体
続いてのテーマは「健康」と「身体」である。
同じ記事にしてしまったが、この2つは似ているようで全く異なる。
ここでいう「身体」は「身体表現・芸術」的なことを含んでいるため、あくまでも例でしかないが「バレリーナ 身体酷使し 健康害す」(五七五)みたいなことは、あり得るからである。「健康のためのウォーキング」「程よいボディメイキング☆」的な次元とはちょっと違うところの話である。
くどいようだが、運動もし過ぎれば健康を害すのだ。
今の私の課題は、この、絶妙に異なる概念の2者を、自身の幸せのイメージの中で上手く統合させ、より地に足のついた形で生活に溶け込ませることである。(む、むずい・・)
こと身体表現に関して言うと、友人知人は殆ど「行き過ぎてもなんとかなっている」人たちばかりである。だが自分は明らかに彼らとは異なる。心ある先達たちは皆「無理するな(怪我すんで)」とは言ってくれはるが、自分のキャパは外からは見えず、自分にしかわからない。そうして、自分はその活動が好きである。
「好きなら、どんな愛し方をしても許されると思うな」
どこかからそんな声が聞こえてきそうだ。
「身体を壊しました」と一言で言ったとき、自身の脳みそが真っ先に「運動過多」を理由として引っ張り出してきたとしても、実際には「(それも、それ以外も含めた)ストレス」「(それも、それ以外も含めた)過労」「栄養不足」「睡眠不足」など、様々な理由がおててを繋いでいるはずである。
具象の話にはなるが、私の場合、運動量が圧倒的に増えている時期だったにも関わらず「生きづらさをどうにかしたすぎる」⇒「夜中までラジオで自己省察しすぎる」⇒「睡眠不足からの慢性疲労」このループは根深かった。(ラジオ自体は大好きで大切な媒体だし、自己省察も最重要項目ではあるものの、やはりあの時期はやりすぎていた。喋りって、書くのより楽だから勢いづくと止まらないのよね。)
うーん、どうにもまとまらないままではあるが、どこにいても何をしていても「自分の幸せのことだけ考える」脳みそ作りを加速させていくことが、あまねき過剰さからの解放のヒントになるような気がする。
本日はここまでで時間切れ。時間で区切るのも、大事よな。