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自分を好きになる道

私は自分のことが好きだろうか・・・。



そんなこと考えたことなかったんだけど、5日間に渡って行われた多次元キネシオロジーの中級クラスが終わって、ふと疑問が湧いた。
じゃあ、問いかけてみる・・・。


うーん、シンプルな問いなのに、答えがすぐ出てこない。
自分のことなのに。


好きな部分もあるし、そうでない部分もある。
概ね好き・・・なのかな?


条件を付けたら、好きと答えられるのかな?
もし〇〇ができたら好き、とか。
もしこうなれたら好き、とか。


多次元キネシを学び始めたころ、何のためにこれをやるんだろう・・・と思っていたワークの一つに、インナーチャイルドの解放っていうのがある。

クラスの時、二人一組で練習セッションをやるんだけど、その時にこのワークをやって、私の前で大泣きした人がいた。
彼女は、私のインナーチャイルドがかわいそう!と言って泣いていた。
でも、私はなにもそこまで泣かなくてもって、きょとんとしていたことがある。


そもそも多次元に出会う前はインナーチャイルドという言葉さえも知らなかった私だけど、多次元キネシオロジーを通して知り、今は大好きなワークの一つ。

なぜなら、インナーチャイルドのワークをすると、胸の辺りがほんわり緩み、心が温まるのを感じるから。
そんな時の私は、自分のこと好きよと、きっと答えると思う。

でも、しばらくすると、何かが足りないという意識や、自分に対する嫌悪感や罪悪感がやってきて、じわじわと私を乗っ取る。


お母さんの私、
奥さんの私、
娘の私、
お姉ちゃんの私、
誰かの友達の私、
仕事をする私、
色んな私がいる。



複雑とも言えるこの社会で、自分を守るために、気づかないうちにたくさんのことを我慢していたり、無理をしていたりする人は多いと思う。
私もきっとその一人。
でも、そんなことをいちいち気にしていられない。

「あー、しんど。疲れた。」


で、かたづけてしまう。
身体には防衛反応の一つなんだと思うけど、辛いことは忘れることもできるし、あまりストレスを感じないようにもしてくれる。

でも、本当は忘れていない。


そう、脳の一部や顕在意識は忘れてくれても、実は潜在意識は忘れない。
全て残っている。


そして、ストレスや我慢がどんどん溜まってくると、何らかの症状で出てくる。
風邪を引いたり、ぎっくり腰になったり、お腹が痛くなったり、、、。

今回は咳だった。
また咳かー・・・。

今年の5月に、大きなイベントがあって、日々の生活や仕事に加え、その準備に追われていた私。本当に忙しかった。
そして、無事にイベントを終え安心したら、自分の携帯が壊れ、翌日に体調を崩し、声が出なくなってしまった。

今から思えば、軽いバーンアウトだったのかもしれない。

自分をケアするのも面倒で、そのうち治るだろうと思ってた。
でも、声は戻らず、咳がずっと出ていた。

勝手に治ると思ってたけど、治らない。
身体は明らかに言いたいことがある。

それは分かっていたのだけど、自己調整するのも億劫で、1か月近くほったらかしにしたら、咳はますます酷くなり、

娘には「ママ、肺がんじゃないの?」
友人には「結核とかじゃないよね?」

と言われる始末。

重い腰を上げて自己調整して、咳は何とか和らいだ。
でも、何だか身体のエネルギーは落ちたままな感じ。

忙しい年度末だから、怒涛のようにやってくる仕事をこなすのに必死だった。
そんな状態での自己調整は楽しいはずもなく、ただただ苦行の続きのようになってしまってた。

そして、迎えた6月末の多次元キネシオロジーの中級クラス。
そのクラスの中で先生の典子さんがデモセッションをやってくれるんだけど、デモに呼ばれた私。

そのデモセッションで、わかったこと、
それは今回のことは、不十分感と罪悪感から来ていたということ。

デモセッションの後、続きの自己調整をやってみた。
ていねいに、ていねいに。

そしたら、ピタリ。もう咳は出ない。


娘にも「ママ、自分でキネシやったんだね。もう咳出てない。」



何故私はこんなにも多次元キネシオロジーに惹かれるのだろうかと、考えてみた。
筋反射が難しくて、自分の闇を見るのがイヤで、何度も放り出しそうになるのに、どうして続けているのだろうって。

それは、自分を変えることができるから。
自分のイヤなことを忘れるのではなく、手放すことができるから。
もっと楽に生きることができるから。

そして、それは自分を好きになる道。

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