今の自分の身の丈に合った暮らし
ずっと見栄を張ってたこともある。
例えば知らない土地にくると誰も私の過去は知らないから経歴を偽ることもできる。高卒の私が地元の短大を卒業したって言ったとしても誰も知らない。お金がなく特にゴミの多い界隈に住んでる人たちの多くは偽ブランドのバックを持ってデザイナーズブランドのロゴが大きく入った服を来ている気持ちもなんとなく分かる。
自分をちょっと一段上に見てもらいたい。中身に自信がないからちょっとでもロゴを借りて承認してもらいたい気持ちになるんだよね。
今、自分が住んでいる界隈はまあまあお洒落な界隈で住んでる人たちの層も意識高い系。だから家賃も結構いい値がするけど”どこ住んでるの?”と聞かれると”〇〇だよ!”というと ”えー!いいとこ住んでるじゃん!”と言われると自分の株が上がったような気持ちに駆られる。
この周辺に住んでる知り合いも”この街に来てまで、あそこに住みたくはないわ、人生に意味がないしクリエイティブさが失われそう”と。
数ヶ月、自分の稼ぎの半分以上が家賃に持っていかれるのに悩みました。
しかも一人暮らしじゃない。
シェアで高額を払ってるお洒落なエリアだってことで。借主は20年、この場所にアパートを借りているから家賃は全く払ってなくルームメイトに家賃、光熱費、食費を負担させて本人は無料で住んでいる現状、毎月家賃支払日の日、彼女は買い物に出かけ高い食材の食べ物を買ってくる。
金銭的には賢い生き方であるけど、そんな家主に疑問に思いながらなかなか引っ越しをする勇気がなかったのです。今の職場でオーナー夫妻は私の仕事の時間をカットしようとしてる現状に触れ、受け入れなければいけない時は来たのかな。働く希望者がいない曜日、私は空いていたので3回ほど”この日空いているので働かせてくれませんか?”とメールをしても返答なし。落ち込みました。若い子たちに働いてもらいたい気持ちもわからなくはないし、オーナー夫妻にも自分達の理想の店にしたいだろうそんな中、感謝の思いが芽生えたきっかけはオノヨーコさんがジョンが亡くなったとに多くの人たちから中傷を受け辛い時に”Blessed 〇〇さん”と中傷をしてくる人たちへ祝福の言葉を唱えて行ったそうです。わあ、なんて素敵なことなんだろう!ってそれを読んで救われました。それからオーナー夫妻に対して”店を祝福してください!彼らの健康と彼らの理想のお店へと変わっていきますように!”と祈りを贈ることを始めました。
すると不思議なことに、時間帯をカットされたことに吹っ切れ他の職場で仕事探しをスタートしました。捨てる神に拾う神ありかあ〜と笑えるほど執着も薄れて行ったのです。この店を出すまで彼らがいろんな苦労を乗り越え大変だった気持ちも察することが出来き今まで働かせてくれてありがたい気持ちへと変わって行ったのです。
思い切って生活費が安いワーキングクラスの界隈で部屋探しをスタートしました。
部屋を見に行って出会った先の大家さんはずーと前に家が安い時に購入したので破格で部屋を貸してくれてました。
また別の場所では中国人の夫婦があり得ないほどの破格で部屋を貸してくれてる。
本人たちは週6日も働いていると言うのに。
”どうしてそんなに安く貸してくれてるのですか?”と聞くと”自分達はもう家を飼っているからガッツリ家賃を取らなくてもいいのよ。それにみんなこの街で生活は大変だから綺麗に使ってくれればそれでいいよ”と。
中国人夫妻から滲み出る素朴な優しさと笑顔。なんて温かいんだろう。
部屋探しで出会った大家さんたちに触れ久しぶりに心暖かい気持ちになれたのです。私のことをどこの誰でどこで働いている、年齢など全く関係なく即部屋を貸してくれこの上ない感謝でいっぱいになりました。
住んでる人たちは八百屋さんやレストランで料理人だったりワーキングクラスの人たちではあるけれど余った野菜をルームメイトに持って帰ってくれたり作りすぎたご飯を分けあったり。
私の心が求めているのは”やさしさのある暮らし”でそれが私にとっての幸せが見つか理ました。
無理をすることはストレスや不安も生みます。
自分の身の丈に合う暮らしを勇気を持って選べば余裕も出てくる。
そこに感謝して生活するのが幸せの近道だと思います。
自分らしく無理をせずに。余裕ができると自分にも優しくなれ、周りにも自然に優しくなれる。