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[自信の必要性を考える]:前編

自分に自信が無いことを悩む人は多いと思う。
私も自信満々な方では無い。
しかし、世間では、
「自分に自信を持て!」「やればできる!」
といったアドバイスが散見される。

果たして、自信は本当に必要なのか。
自信を持つことは良いことなのか。
今回の記事で、
「20代で、無理に自信を持とうとしなくていい」
といった内容を書こうと思う。

「自信」とは何か。言葉があまりに抽象的だ。
一般的な定義では、
自信=自分の価値や能力を信頼している精神状態
といったところだろう。

今回の記事では、自信の必要性を「自分の価値(前編)」と、「自分の能力(後編)」に分けて考えていこうと思う。

私は、自分の価値を信じるというのがよくわからない。
この記事(前編)では、
自信=自分には価値があると信じること
というように、定義を限定して考える。

私は、私自身に価値があるとも価値が無いとも思わない。
ただ普通に生きているだけだ。
きっと人間以外の多くの生物は、「自分には価値がある」とか「価値が無い」とか考えないだろう。

なぜ、自分には価値があると信じようとする?
「世の中には価値がある人と無い人がいる」
という前提があるのだろうか。


自信があると言う人は、自分が他人より価値があると思っているだろうか。
自信が無いと言う人は、はたして価値が無いのだろうか。


自己肯定感という言葉もあるらしい。
これも、必要性がよくわからない。
自己を肯定したり否定したりといった行為に、何か意味があるのだろうか。
仮に自己を明確に否定できる人がいたとしたら、歴史上で最も偉大な哲学者になりそうだ。

哲学者デカルトは、「我思う、ゆえに我あり。」という命題を残した。
デカルトは、自分を含めた世界の全てを疑った。草も木も花も人間も。
「全てを疑っても、今まさに疑っている自分の存在だけは肯定できる。」
これがまさしく、究極の自己肯定だと私は思う。

自己肯定感を必要とする人達は、自己の存在を疑ってしまったのだろうか。
毎朝ベッドの上で、「我思う、ゆえに我あり」と唱えてみれば、
「あぁ、今日も私は存在しているっ!」と自己肯定感を高められるだろう。

冗談はさておき、自信が無いことに悩む必要は無さそうだ。
自分に価値があるかどうかなんて、考えなくて良いではないか。
ごちゃごちゃ考えてないで、普通に生きればいいと思われる。
自己肯定感なども、あまり気にしなくていいと思う。
幸福な人生に自信なんか必要ないというのが、私の考えだ。

(後編に続く)

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