怯える自我の象徴?~半天狗
毎週日曜日に放送される「鬼滅の刃 刀鍛冶の里編」を楽しみに見ています。
これまで、漫画でも読んだこともないので、個性あふれる登場人物や壮絶なバトルの行方に毎回、ワクワクしています。
作者の「作りこみ」がすごくて、アニメであっても、自分の過去の経験が刺激されたり、社会の暗部をあぶりだしているような気がしたり、心に刺さる名言も数々あったりで、見ているだけでお話以上のイメージが広がります。
さて、今回、上弦の鬼で「半天狗」が出てきます。
初めは、弱そうな?おじいちゃんのような鬼でしたが、戦いの中で分裂して、強くなります。4つに分裂した鬼はそれぞれ「喜・怒・哀・楽」の字を持っていました。
最初のおじいちゃんのような弱弱しい鬼には「怯(える)」の字がついていました。
そして、常に「恐ろしい~恐ろしい~」と言っています。臆病です。
これを見て、私は、初めの鬼は「自我」を象徴しているのではないかと思いました。
自我(エゴ)は、生き残るため、あるいは身を守るために常に周りを気にしています。生存を脅かすような危機を回避するために、常に不安を感じやすくなっています。
アメリカで行われた心理学の研究によると、私たちは1日に約6万回の思考を行っているそうです。そのうち、約80%は身を守るためのネガティブな思考になっているそうです。不安を感じることで改善や準備をしたり、危険予測をして事故やトラブルを防いだりするためです。
もし、安心できる居場所や良好な人間関係などがなければ、常に何か起こるのではないか、自分が危険な目にあうのではないかと不安や恐ろしさに「怯える」ことになります。
半天狗の最初の形態の口癖は、まさに怖ればかりを感じている「怯」をあらわしているのではないかとイメージが湧きました。
また、怯えて、逃げてばかりいますが、身体、首はかなり「かたい」です。
これは、変化を恐れて、たとえ今の状態が不幸であっても、今の自分を変えていく怖さから逃げて、そのままでいようとする自我の頑固さの現れなのかもしれません。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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