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大正期の総理大臣
つい最近自民総裁選が始まり、
9月末に新たな総理大臣が誕生します。
皆さんは誰に総理大臣になってほしいですか?
コメントでぜひ教えてください。
ちなみに自分はこの人が総理になってほしいという人は特にいません。
なぜなら今回出る9人の候補者たちのこれまでの詳しい活動があまりわからないからです。
今回の記事は昔の総理大臣に目を向けて話します。
前回の記事では明治の総理大臣について書きました。
なので、今回はその続編ということで大正期の総理大臣について取り上げたいと思います。
大正期に総理大臣になったのは全部で10人います。
順番に名前を挙げていきます。
・桂太郎(長州藩出身)
・山本権兵衛(薩摩藩出身)
・大隈重信(肥前藩出身)
・寺内正毅(長州藩出身)
・原敬(南部藩出身)
・高橋是清(江戸で生まれ後に仙台藩へ養子)
・加藤友三郎(広島藩出身)
・清浦奎吾(肥後藩出身)
・加藤高明(尾張藩出身)
・若槻禮次郎(松江藩出身)
前の明治の総理と比較すると、だいぶ薩長土肥出身者が減りました。
それでも大正初期ではまだ薩長土肥出身者の人が総理になっていますね。
平民宰相とよばれた原敬が総理になったからはだいぶ他の藩出身者の人でも総理になることができてますね。
この10人の中でも複数回総理になっている人がいます。
・桂太郎=3回(もう2回は明治のとき)
・山本権兵衛=2回
・大隈重信=2回(もう1回は明治の時)
・若槻禮次郎=2回(もう1回は昭和の時)
若槻禮次郎の場合は1回目の総理の時、
つまり第一次若槻禮次郎内閣の時の期間は大正から昭和にまたがっている形なので、1回目も2回目も昭和の時の総理大臣と言い換えることもできます。
明治期と比較すると複数回総理になっている人が圧倒的に少ないですね。
明治期は1回しか総理にならなかったのは黒田清隆しかいませんでした。
しかし、大正期では1回しか総理にならなかった人は6人もいます。
むしろ複数回総理になった人の方が大正期では少なくなっているのです。
また大正期の総理10人は全員江戸時代の生まれです。
1人ぐらい明治生まれの人がいるのかなと思ったのですが、1人もいませんでした。10人の生まれた年は以下の通りです。
※江戸時代は1867年まで
・桂太郎=1848年生まれ
・山本権兵衛=1852年生まれ
・大隈重信=1838年生まれ
・寺内正毅=1852年生まれ
・原敬=1856年生まれ
・高橋是清=1854年生まれ
・加藤友三郎=1861年生まれ
・清浦奎吾=1850年生まれ
・加藤高明=1860年生まれ
・若槻禮次郎=1866年生まれ
こうしてみてみると大正期後半の総理は、幕末の中でもさらに激動の時代だった1860年代の生まれの人が多くなっています。
清浦奎吾は大正期後半の総理ですが、1850年代に生まれています。
清浦奎吾は1924年に総理になっているので、数え年75歳で総理になったということになります。
75歳で総理になるのは相当大変だったと思います。
体の負担もかなりあったでしょう。
清浦奎吾と大隈重信の演説はYouTubeにあり本人の肉声が聞けるので、聞いてみたいという方はぜひ聞いてみるといいでしょう。
江戸時代生まれの2人の声が聴けるのはかなり貴重だと思います。
自分も昨日の夜、YouTubeで清浦奎吾の演説を聴いていました。
話している内容はあまりわからなかったのですが、江戸時代生まれの人が話しているんだな~という感想にはなりました。
終わりに
大正期の総理大臣は明治の頃に比べれば、藩閥の傾向はかなり弱まったとみて良いでしょう。
また先ほども言った通り、
明治の総理大臣は複数回総理になっている人が多いのに対し、大正期の総理大臣は複数回総理になっている人が少ないです。
これらのことから大正期は総理大臣のこと1つとっても明治とは世の中がかなり変わったように思えます。
大正期は15年と短いのですが、その間に護憲運動とよばれる運動があったり、現代にもつながるサラリーマンが登場したりするなど
歴史において重要な時代であったことは間違いないです。
いずれ昭和期の総理大臣についても取り上げようと考えています。
ではまた~