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幕末の将軍上洛は久々の上洛だった【229年という期間】

江戸時代における将軍の上洛は

1634年の寛永期に3代将軍徳川家光がした以来長らく行われませんでした。
※上洛=京都にいくこと

そして時は流れ幕末になると1863年に14代将軍の徳川家茂が上洛しました。


目的は時の天皇である孝明天皇に、攘夷実行を誓うためです。

※攘夷=外国人を追い払い国内に入れないこと

家茂の上洛は、将軍の上洛としては久々であり229年ぶりだったのです。

この出来事は話題を呼んだそうです。

徳川家茂の229年ぶりの上洛は、多くの錦絵が描かれ、将軍を見ようと見物人が押しかける一大イベントだった。

現代ビジネス 14代将軍徳川家茂が歩いた東海道の1ページ目の記事より


話題となった理由は、やはり将軍の上洛という出来事が229年ぶりだったからではないでしょうか?最後の上洛が229年前なのです。


229年前と聞くとなんとなくすごい昔なのはわかるけど、具体的にイメージしづらい人もいるかもしれません。


そこで現代の2024年から229年前を考えていきたいと思います。


まず、1863年の家茂上洛から2024年までは161年間です。


つまり1634年の家光上洛から1863年の家茂上洛までの期間は、1863年の家茂上洛から2024年までの期間よりも圧倒的に長いことがわかります。


これを知っておくだけでも229年という期間がかなり長いんだなということが実感できるかと思います。


じゃあ、2024年の229年前はいつかというと1795年です。


1795年は元号にすると寛政7年です。このときの将軍は11代将軍の徳川家斉という人です。先ほど名前を挙げた家茂の祖父にあたる人物です。


寛政というと思いつくのが寛政の改革です。


寛政の改革は家斉が将軍に就任したときに老中首座であった松平定信という人がおこなった三大改革とよばれる改革のうちの一つです。


寛政の改革の期間は1787年から定信が老中を辞めさせられる1793年まで続きました。


1795年は寛政の改革が終了してから2年たった頃の年です。


これでさらに229年という時間が長いことをさらに実感できたかと思います。

現代で考えると、寛政の改革の時代あたりに途絶えた行事が今年復活しました!という情報が耳に入れば話題にもなるでしょう。

そう考えると229年ぶりの上洛が話題になるのも当然だと思います。

229年前の出来事というのは当然自分のおじいちゃんおばあちゃんも体験していないできごとです。


おじいちゃんおばあちゃんのそのまたおじいちゃんおばあちゃんの……というふうにどんどんさかのぼっていった先祖のひとじゃなければ、体験していないことです。しかし、昔を生きた先祖は現代にはいないのです。

なのでそんな昔の話をしてくれる人は当然身近にはいないわけです。


だからこそそんな昔あった行事が復活するとなると、興味も湧いて話題になるのではないでしょうか?


現代の私たちからすれば、寛永期の家光上洛も1863年の家茂上洛もどちらもそれぞれはるか昔に行われた歴史の一つの出来事として認識しているでしょう。


そのため2つの上洛の期間がどれほど空いているのか感じにくいです。


しかし、具体的な期間の年数を見れば、なぜ幕末を生きた当時の人がそんなにも将軍の上洛を珍しがったのだろうかということが理解できると思います。

結論として229年という期間はそれはそれは長いという話でした。

ではまた~








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