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松下村塾について誤解していたことを3つ話そうと思います
松下村塾という名前を聞いたことがありますか?
松下村塾といえば、
幕末に長州の吉田松陰が明治維新で活躍する人たちを育てた塾として知られています。
塾生は高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋などなど幕末期から明治期を通して活躍した長州藩の人が通っていました。
塾生は最盛期で80人ほどいたとされ、長州出身で幕末の世を活躍した人の多くが松下村塾の塾生でした。
自分が最初に松下村塾という存在を知ったときに誤解していた部分が3つあったので、今回はそのことについて話していきたいと思います。
①吉田松陰は松下村塾の創設者じゃない!?
「吉田松陰は若き志士を育成するために松下村塾を開き、そこで多くの生徒を教育した」
こういったストーリだと受けが良さそうではありますが、史実は違います。
松陰自身が松下村塾を開いたわけではありません。
松下村塾を開いたのは松陰の叔父の玉木文之進であり、松陰自身も小さいころは松下村塾の塾生として玉木文之進から直接指導を受けています。
(ただ、玉木文之進の指導方法は現代だったら体罰確定の内容ですが……)
松陰は後に玉木文之進から松下村塾を譲り受けて、先生になりました。
②吉田松陰は年寄りの先生ではなかった
これは当初勝手にイメージしていたことなのですが、吉田松陰は50歳くらいの当時としては高齢にあたる年齢の先生だというふうに思っていました。
多分松陰の肖像画が割と老けているためにそう感じたのかもしれません。
しかし、実は松下村塾で先生をやっていたころの松陰の年齢は
なんと20代後半だったのです!
この事実を知ったときは、若いな!と思いました。
そんな若い先生が、数多くいる塾生を指導していたのかと思うと純粋にすごいなという気持ちになりました。
そもそも松陰は9歳の頃には長州藩の藩校明倫館で先生をやっていたという天才的な経歴を持つ人なのでなので、
松陰自身からしたら20代後半で塾を主催して生徒たちに教えることになんら特別感はなかっただろうと推測されます。
③塾生は今でいう青年ぐらいの年齢!?
塾生たちの年齢は逆にもっと若いのかなと思っていましたが、みんな大体20歳前後ぐらいの人が松下村塾で学んでいました。
そう考えると塾生と松陰の年齢差は約10歳差であったと言えます。
この事実をみてどう思いますか?自分としてはかなり年齢差が近いなと感じました。
塾生と松陰の年齢差が40歳差ぐらいあると思っていた自分にとってこの事実を最初に知ったときはそれはもう衝撃でした。
終わりに
時代を大きく変えた人々を育てたのが、20代後半の先生と考えると、松陰にはとんでもない才能と、幼少期からの猛勉強があったことを感じさせられます。
松陰は過激すぎる人であり、その行動のすべてを肯定することはできませんが、それでも人を動かす能力については間違いなくすごいです。
松陰が1860年代の日本そして明治の日本を見たらどんな反応をするのか気になりますね。