徳川慶喜のもう一つの実績(慶応の改革)
徳川慶喜といったら江戸幕府最後の将軍であり、大政奉還をして幕府を終わらせた将軍というイメージが強いと思います。
慶喜の将軍期間は実は1年もありません。
1866年12月5日に将軍になり、大政奉還をした1867年10月14日までのたった10ヵ月しか将軍ではありませんでした。
短い期間しかなかったので将軍としての慶喜の仕事は大政奉還しかしてないと思われがちです。
しかし、実はこの10ヵ月の間に大規模な改革を行っています。
この将軍慶喜主導の改革を慶応の改革と呼びます。
この改革はフランス公使ロッシュとの会談後に行われたものです。
江戸時代には様々な改革がありましたが、将軍主導の改革というのは数少なく、吉宗の行った享保の改革と慶喜の行った慶応の改革ぐらいしかありません。
※有名な寛政の改革や天保の改革などは将軍ではなく、老中首座とよばれる老中の代表の人によって行われた改革です。
早速、慶応の改革の内容を見ていきたいと思います
慶応の改革の内容
・幕府軍の戦闘部隊を銃隊に再編←フランス式に再編
・近代的な軍事指揮官を養成←旗本出身の志願者募集
・製鉄所、造船所の建設
・幕府の担当部署に内国事務、会計、外国事務、陸軍、海軍を新たに設けた。←この事務総裁にそれぞれ老中を任命=五局制の確立
かなり近代的な改革をやっています。
幕府が滅びる直前にこれだけの大規模な改革ができたことはすごいことと言って良いでしょう。
ただ、この改革で幕府を完全に立て直すことはできませんでした。
しかし、造船所の建設は明治に入って多くの軍艦を生み出すことに繋がったので、歴史的に見て意味のある改革だったことは間違いないです。
慶喜は早くから幕府が滅びるのを予想していたと言われています。
しかし、この改革の内容を見る限り大政奉還の直前まではまだ幕府の存続は諦めていなかった気がします。
もしこの改革が成功して、史実よりも幕府が続いたら世の中はどうなっていたでしょうか。
良い方向になるか悪い方向になるかは正直わかりません。
自分としては、慶喜と新政府のメンバーが一緒に政治をする世界線を見てみたいです。
ただ、実際にこの政治体制が実現したら、大久保利通VS慶喜で争いが起き、政局が混乱して政治がうまくいかない気もします。
みなさんはどう思いますか?
この時代に関して興味があるという方がいたらぜひコメントで教えていただけたら嬉しいです。
ではまた!
参考文献
・徳川15代の通信簿 小和田哲男著
・最新研究でここまでわかった幕末通説の嘘 日本史の謎検証委員会編