譲歩してあげてるんだからの裏にひそむものは結局同じだった
嫌いなものは一口だけでいいよ
苦手なものはがんばらなくていいよ
学校がダメなら自由な学校でいいよ
こんなに譲歩してあげてるんだから、ワタシっていい母親よねと思っていた時期があります。
なんというかワタシのいい母親のイメージは、すべてうちの母が反面教師になっていて
昭和というのをさしひいても厳しかったんじゃないかと思われるあれこれ
食事はすべて食べきるまで2時間座らされ
決められた習い事は向いてないからやめさせて欲しいと頼んでもやめさせてもらえず
どんなに咳き込んでいようが熱がなければ学校へ行けという
なんて過去と比較して
これだけ譲歩してあげてるんだからいい母親をしている気になっていたのです。
それなのに全然うまくいかない。
一口だけでいいと言っているのに頑として食べない息子
好きで自分から始めたことなのに休みたいという息子
あれだけ自由で緩い学校に通わせているのに疲れるという息子
これだけ譲歩してあげてるのになんなん!?
正直そういう気持ちがしていた。
ワタシのお友だちに、子ども三人をフリースクールに通わせている方がいるのですが、あれだけお金を払ってあれだけ送迎がんばって、あれだけ自由な学校に通わせているのに
行きたくないってどういうこと!?とため息をついている。
わかるわかるそういう気持ちなのよそういう!
そしてそのお母さんのようにため息だけでは終わらず怒りまで沸いてきてしまう。
昨日のこと、夜更かしして寝起きの悪い長男がぶすっと起きてきて、
今日のスクールのイベント、疲れたから行きたくないと言い出した。
そのブーたれた顔を見てイラっときたのだろう。
あんた昨日は行くっていってたのに?
イベント楽しみだって言ってたじゃん?
夜更かしするのがいけないんだよ!
それ、自分たちの修学旅行の旅費を稼ぐんでしょう?
疲れたからやらないって、じゃあ旅行にだけ行くつもりなん?
他の子はがんばってるのに?
それってずるくない?
という趣旨のことを×3倍くらいにしてまくしたててしまった。長男シュンとなって夫氏と共にイベント会場へ出発。
その落ち込んだ様子を見て、ワタシもがっくりと落ち込む。
どうすればよかったのだろう?
笑って
いいよー休んでも
と言えばよかったのだろうか?
いや違うな。言ってることは間違ってないんだよな。間違っているとしたら感情的になってしまったところと
そしてもうひとつ。
ワタシは子どもを自分の思いどおりにしたがっているんだと思う。
嫌いなものは一口だけでいい、というのは
一口だけなら食べろということだし
苦手なことはがんばらなくていいというのは、得意なことはいつもイキイキとやれということ。
自由な学校なら毎日喜んで行けということ。
結局やっていることは程度の差こそあれ、うちの母と同じだったんだなあ・・・・。
なぜそんなに子どもを支配したがる?
暇なのか?
子どもにばかりかまってないで、自分のしたいことをして
まったくしょうがないなあ、
とため息つきながら自分はこつこつ自分のことをして
時々コミュニケーションして、自分の考えを淡々と伝えるくらいが
ちょうどいい距離感なのかもと、そう感じた三連休最終日。
子育てって難しい!と叫ぶ声が空に吸い込まれていく秋晴れ。
みなさまも良い休日を。