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【#196】言語化して良い事・悪い事

こんにちは。今日は「言語化」について。

一般的に言語化できることは良いこととされており、ふわっとしている状況を客観性をもって打破したり、複数人での認識合わせでとても重宝する能力だと思います。そもそも資料化する時もテキストに落とすための言語化が必須ですし、ここを筋トレのごとく日々鍛えるのはとても重要なことだと思っています。

ただ、最近思うのが言語化しない方が良いこともあるなぁということ。

例えば、毎朝走ることが習慣化できないなぁと思ってる時に「自分は三日坊主だからな」とか、新しいことを始めたい時に「自分には金融の知識がないから」とか。

こういう言い訳文脈でそれっぽいことを言語化することは、できるだけやめた方が良いんじゃないかなぁと思います。

それを言ってる当人も深層心理では自覚していて、ある種の納得感を自分の中に作り出すために(正当性を持たせるために)言ってるんだってことは、薄々わかってるんだろうなぁとは思うんですけどね。

せっかく言語化するなら、もう1つなぜ?で深掘りして「三日坊主なのはなぜか?」「金融の知識がないのはなぜか?」を考え、どうしたらその理由を打破できるかということを考えたいですよね。

ネガティブな文脈でのそれっぽい言語化は避けて、ポジティブにできるようになるための文脈で具体化するために、積極的に言語化したいですよね。

ちなみに私はこの辺のできてないなぁ〜みたいなのが出てくる時は、大抵「やってない」がほとんどなので、小さく始めるとりあえず始めるを実行してます。

ランニングサボってたら3キロでいいから外に出る、スケジュール管理サボりがちならとりあえず机に手帳とフリーカレンダー広げてペンもって座る。

やる気が出ないから始められないんじゃなくて、始めるとやる気が出るのに、やらないからできない。この辺を受け入れて体をその場に運んでやってみる。なかなか有効です。

少し話がそれましたが、言語化は前向きな文脈で鍛えていこうというお話でした。

それでは!

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