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丸子川沿いを歩く①多摩川駅~上野毛駅
東急目黒線 多摩川駅から3~4分多摩川方面に歩くと多摩堤通りの手前沿いに細く流れる水路がある。
それが丸子川で、昔、次太夫堀と称された用水の名残だそう。もとは江戸時代初期に開墾された六郷用水の一部であり、事業を担当した奉行の名から「次大夫堀」とも呼ばれていた。
用水とは、田畑の灌漑用に掘られた人口の川のこと、玉川上水なども用水であり、どちらも自然に流れる多摩川の水を取水して作られた用水路です。その用水=丸子川に沿って歩きます。
多摩川台公園の入り口を通り過ぎ、二子玉川方面へ歩くと多摩川が沿道の木々の合間に見え隠れします。この辺り一帯は古墳群があり、6世紀ころから7世紀中頃の武具や土師器、埴輪などが出土されていて、多摩川台公園に古墳の展示室があるようです。昔の人々も多摩川を遠くまで見晴らしながら、暮らしていたのかなあと思いながら歩みを進めます。
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丸子川には小さな橋がかかっていて、家々の入り口になっている橋も多く、橋は私有地なのか公道なのか?という疑問がわく。上の写真は公園の入り口
になる橋
テレビでみる川の前の家は、川に背を向けて建っているイメージが多いが
丸子川に面した家は川に向かって玄関がある。なぜだろう、あ、もしかすると家の向こうは国分寺崖線になるのかな?
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お寺の門前も橋
お寺の向い側に庚申塔があり、グーグルマップにはビルトイン庚申塔とありました。確かに白い壁にビルトイン状態、いつ誰がネーミングしたのだろう?
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庚申塔をよく知らないので調べると、目黒区のHPの歴史文化財コーナー内の庚申塔って何?がわかりやすかったので、備忘録
庚申塔の歴史
寿命を縮めないために 江戸時代に大流行した民間信仰
旧暦では60日に1度、庚申(かのえさる)の日が巡ってきますが、この夜眠ってしまうと人の体内にすんでいる三し(さんし)という虫が天に昇り、天帝にその人の日ごろの行いを報告するという道教の教えがあり、罪状によっては寿命が縮まると言われていました。寿命が縮まっては大変。この日は身を慎み、虫が抜け出せないようにと徹夜して過ごしました。日本では既に10世紀ごろには盛んだったようで、「枕草子」、「大鏡」などに記述があります。この教えが広まっていく中で仏教や庶民の信仰が加わり、江戸時代には全国の農村などで大流行しました。
身を慎むことから始まりましたが、徐々に米や野菜、お金を持ち寄り、皆で飲食・歓談して過ごす楽しい集まりになっていきました。また、さまざまな情報を交換し、農作業の知識や技術を研究する場でもありました。この集会を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔です。長寿や健康のみならず、家内安全や五穀豊じょう、現世や来世のことなどを祈り、それを碑面に刻みました。
庚申塔には造立年月日や、造立者の名前が刻まれているものもあるようです。この次に庚申塔をみかけたら、見てみようと思いました。
進むと右手に八幡神社
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創建
田園調布八幡神社の創建は鎌倉時代の建長年間(西暦1249~1256年)と伝えられる。 この時代、鎌倉幕府は執権北条氏が実権を握り、国内基盤固めを行なっていた。各地では 武士達はもとより村人達も幕府に忠誠を示す意味もあり、源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛ん で、多くの八幡神社が建てられた。当時、この村の西側、現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと…今もそう呼ぶ年配者もいる)と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積 んだ舟が盛んに出入りしていた。また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が 通り、篭谷戸の港に接続していた。港を中心としてこの一帯には多くの鎌倉武士が駐屯し、 鎌倉街道の要衝の地となっていた。そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で、舟の出入りを監視できる重要な場所であった。 鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、 八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。
さきほど通り過ぎた玉川神社は初詣の人の長蛇の列で賑やかだったが、ここは閑散としていました。その静寂の中、神聖な気持ちで詣でさせていただきました。宮司は常駐していないので、お年賀限定の置き御朱印があったようですが、気づかず、あとで知り残念。
マップでは、この辺りにお鷹の圦堰という史跡マークがあるが、行き過ぎたようで少し戻ると、これかな?
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用水の余水を多摩川に流す分水堰である「お鷹の圦(いり)堰」があった。現在もこの場所には多摩川への分水路の水門が設置されている。
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水のきれいなところにいるキセキレイが!
カモもたくさん泳いでいました。
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天然記念物のカヤが有名のようですが、写真なしです。
先に進むと、大工事中の場所があり、谷沢川の分水路工事とありました。
東京都が進めている谷沢川分水路だそうです。
谷沢川は高度に市街化した地域を流れるため、川の拡幅や河床掘削など従来の護岸整備方法で河川改修することは困難な河川です。
一方、下流には自然豊かな等々力渓谷を抱えるため、良好な景観や自然環境を保全する必要もあります。
そこで地下空間を利用することが最も適切な方法と考えられます。豪雨時に雨水を上流で地下の谷沢川分水路(トンネル)にバイパスすることで、
地上の谷沢川の水位を下げ、安全に流下させることができます。
谷沢川分水路工事は下流から上流に向かって施工します。事業区域は都立園芸高校玉川果樹園から丸子川に沿って西側に進み、
世田谷区道交差部で北に折れ北上します。その後玉川ICをまっすぐ通過し環状八号線に入り、区道を通過して国道246 号を渋谷方面に進み、
谷沢川上流世田谷区玉川台1 丁目付近の玉川台広場までが谷沢川分水路のルートです。
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都心の洪水対策、いろいろと考えられ、対策されていることを知りました。図がわかりやすく、勉強になりました。
上野毛通りを渡り、振り返ると綺麗な紅葉
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台地を多摩川が長い年月をかけて削ってできた国分寺崖線にある公園です。斜面上側にはサクラの広場、斜面下側には湧き水のせせらぎをみることができるそうです。
信号渡ってしまったので、次回行ってみます。
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稲荷坂を上ると、道沿いに上野毛稲荷神社がありました。
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お稲荷様には手を合わせてお参りします。
今日も無事に過ごせました、感謝。
上野毛駅まで歩いて大井町線で帰路へ。1時間半ほどのウオーキングでした。この日の歩数:10256歩
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