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女は女である
小学生の時、テレビでローマの休日を見て以来
オードリーヘップバーンが大好きになった。
可愛らしさだけでなく、彼女の波瀾万丈な
生い立ちを知り、益々好きになった。
19際の時、
そのオードリーヘップバーンを上回る好きな人ができた。
彼女の名前は
アンナカリーナ
1940年9月22日、デンマーク・コペンハーゲンに生まれる。母は洋裁店を営み、父親は船員であったが、カリーナが生まれて1年後に家族を捨ててしまう。そのため4歳になるまで祖父母に育てられ、その後4年間は里親の元で育つ。その後母親と暮らすようになるが、頻繁に家出をしていたという[2]。デンマークではキャバレーで歌ったりモデルなどをするようになる。14歳の時にデンマークの短編映画に出演しているが、その作品はカンヌ国際映画祭で賞を獲得している[3]。17歳の時にフランス・パリに移る。パリに付いた当時はフランス語を話すことが出来なかったが、スカウトされてモデルとして活躍する。「アンナ・カリーナ」という芸名は当時出会ったココ・シャネルが授けた[4]。
洋画と邦画しか知らなかった私に、フランス映画の素晴らしさを教えてくれる人に出会った。
大きな街にはアンナカリーナの作品もたくさん置いてあった。
お気に入りは 《女は女である》
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オープニングから虜になったが内容は1回見ただけではさっぱり分からず、何回も見た。
毎日見ていた時期もあり、アンナカリーナの
ファッションの真似をし
ほぼコスプレ状態を楽しんでいた。
チョコレート色の髪の毛、トレンチコート、
赤いカーディガン、ツインテール・・・
でも足りないものが。
それは
ブルーのアイシャドウ。
太めのアイラインにブルーのアイシャドウが
可愛いくてどうしても真似をしたかった。
すると次の日、
奇跡が起こった。
![](https://assets.st-note.com/img/1677149078149-xZt0dsZTI9.jpg?width=1200)
友達が「アイシャドウいる?」と
2つのアイシャドウパレットを見せてくれた
のだ。
ブラウン系とブルー系の国産メーカーの素敵な
アイシャドウパレット。
なんてタイミングだろう!!と
迷わず、ブルー系がちょうど欲しかったの!!
とありがたく貰った。
友達はブラウン系が欲しかったらしく、上手くいった。
ドラックストアで安いブルーのアイシャドウを
買おうと思っていた。
でも、当時の私のお給料では購入するのを躊躇してしまうくらい、良い値段の素敵なぴったりなアイシャドウがやったきた。
私はアンナカリーナになりきり、毎日がスキップしたくなるほど益々楽しくなった。
![](https://assets.st-note.com/img/1677149009434-fynLx3Qf32.jpg?width=1200)
欲しいなと思ったら、なぜか勝手に向こうから
やってくる。
自分でもびっくりするくらい
この時期は本当に冴えていた。
ただ少しずつ少しずつ、何かが変化していた。
アンナカリーナは私がヨーロッパに旅行に行っている間に東京に来ていた。
私はこの時、東京にも行こうと思えば行けたが 初の海外旅行をキャンセルする理由はなく、
東京は断念した。
その翌年、アンナカリーナは素敵な
ドキュメンタリー映画を残して亡くなった。
とてもショックだったけど、
映画が完成したタイミングに合わせ
きっと全てが完璧だったのだ。
読んでくれてありがとう⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
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いちご大福🍓